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[特集]特別対談『1 万円札』 肖像バトンタッチ(1)

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埼玉県深谷市

■〈大分県中津市長〉奥塚正典 × 〈深谷市長〉小島進
7月3日に、渋沢栄一翁が肖像となる新1万円札が発行されます。そこで、1万円札の顔として最長の40年活躍された福澤諭吉先生の故郷、大分県中津市の奥塚市長と小島市長が、福澤先生と栄一翁の共通点や、互いのまちのことについて語り合いました。
対談は、中津城石垣を望める中津市歴史博物館で行われました。

○福澤諭吉(ふくざわゆきち)
1835(天保5)年~1901(明治34)年
〈天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず〉
明治の代表的な啓蒙思想家。父は中津藩士で、福澤が生まれた当時は大坂の蔵屋敷詰(くらやしきづめ)であった。父の死後中津に戻り、儒学者白石常人(しらいしつねひと)に師事し、その後大坂に出て、緒方洪庵(おがたこうあん)に蘭学を学ぶ。1860年から1867年にかけて遣欧米使節(けんおうべいしせつ)に3度参加し、『西洋事情』などの著作を通じて欧米文化を紹介した。1868年に自らが教えていた塾を慶應義塾(けいおうぎじゅく)と命名。明治以降官職に就かず、位階勲等(いかいくんとう)などを受けなかった。『学問のすゝめ(すすめ)』、『文明論之概略(ぶんめいろんのがいりゃく)』など多数の著作を発表した。
肖像出典:国立国会図書館『近代日本人の肖像』

○渋沢栄一(しぶさわえいいち)
1840(天保11)年~1931(昭和6)年
〈約500の企業に関わる近代日本経済の父〉
明冶・大正期を代表する実業家。深谷市血洗島生まれ。一橋家に仕え、1867年にパリ万国博覧会に出席する徳川昭武(とくがわあきたけ)に随行し、欧州の産業、制度を見聞。1869年に新政府に出仕し、1872年に大蔵大丞(おおくらたいじょう)となるが翌年退官し実業界に入る。第一国立銀行の総監役、頭取ほか、王子製紙など多くの企業の創立と発展に尽力。『論語』の徳育と経済活動は表裏一体とする『道徳経済合一説(どうとくけいざいごういつせつ)』を唱える。1916年に実業界から引退後も福祉事業や国際親善に力を注いだ。
肖像出典:国立国会図書館『近代日本人の肖像』

・奥塚 正典(おくづかまさのり)(大分県中津市長)
・小島 進(こじますすむ)(深谷市長)

◆同じ時代を生きた二人の偉人
奥塚市長:
小島市長、お久しぶりです。中津市へ、ようこそおいでくださいました。

小島市長:
奥塚市長、お久しぶりです。おととしの10月に深谷にお越しいただいた以来ですね。今日もこうして縁あってお話しすることは、何かすごい意味があるような気がしています。

奥塚市長:
そうですね。そしていよいよ、栄一翁が肖像となる、新1万円札が発行されますね。

小島市長:
いよいよですね。1万円札の肖像のバトンタッチとなる福澤先生と栄一翁が、同じ時代を生きたというのがすごい奇跡ですし、実は二人は、思いや考え方、生き方も、すごく似ている部分がありますよね。

奥塚市長:
よく栄一翁は儒教(じゅきょう)、福澤先生は西洋思想という見方をされますけど、二人のことを調べると、気持ちの部分であったりと、共通した部分が多いですね。

小島市長:
実践や行動力という部分も共通していますし、あとは、身分制度への思いもですよね。栄一翁は富農(ふのう)の生まれではあったけど、お祝い事などのたびに、藩主から御用金を取り立てられ、また、代官の態度に憤りを覚えていたと。

奥塚市長:
福澤先生も『門閥(もんばつ)(身分)制度は親の敵(かたき)』と言っています。その思いが、二人の実践や行動の原動力になっていますよね。

◆影響を受けた母の優しさ
小島市長:
お母さんの優しさというのも共通していますね。

奥塚市長:
福澤先生のお母さんは、家がなく、着物がぼろぼろの女の子を庭に呼び入れ、シラミをとって、シラミをとらせてもらったお礼として握り飯を作って食べさせたという、心の優しい、情が深い人だったといいます。

小島市長:
栄一翁のお母さんも、共同風呂で、当時、未知の病であったハンセン病の女性と入浴し、背中を流してあげたという話があります。お母さんの優しさっていうのが、後の福祉事業の原点になったのかなって思います。

奥塚市長:
経済を発展させることによって、みんなが豊かにならなきゃいけないという思いの中でも、弱い人たちを助けていこうという気持ちが、福澤先生は教育の分野で、栄一翁は福祉の分野でよく表れています。

◆若くして海外渡航を経験
小島市長:
福澤先生も栄一翁も、20代で海外に渡っています。福澤先生は27歳の時に咸臨丸(かんりんまる)でアメリカに、そして栄一翁も同じ27歳の時、随行でヨーロッパに行っています。二人は、カルチャーショックを受けながらも、今の日本はどうするべきかと考えたのでしょうね。

奥塚市長:
そうですね。二人とも若くして広い視野を持ち、海外に出て学んでいますよね。

小島市長:
本当に、この人がいたから今の日本があるという二人ですよね。おかげさまで、栄一翁は大河ドラマになりましたけど、本当は福澤先生も大河ドラマになるべきなんです。

奥塚市長:
嬉しいお話ですね。

◆将棋と思いを交える
小島市長:
栄一翁はよく500もの企業に関わった『近代日本経済の父』と言われますが、実業界を引退した後は、東京市養育院をはじめとした、福祉事業に力を入れたり、明治神宮の創建に関わったりと、お金を儲けるのは悪くないんだけど、それを世の中のために使おうという思い、つまり『道徳経済合一』の考えが生涯にわたって一貫しているなと思います。

奥塚市長:
福澤先生も自身で創刊した時事新報の中で、初志(しょし)を貫いて実業界で成功した栄一翁の生き方が、模範だとたたえています。福澤先生も、1万円札の肖像を、良い人が引き継いでくれたと思っているんじゃないかなと。

小島市長:
良かったのは、福澤先生が栄一翁より5つ年上なんですよね。先輩の後を継ぐということで、栄一翁はどう思っているかな。
後年、二人が大隈重信(おおくましげのぶ)邸で、将棋を打ち合ったことがあるというのがまた面白いですね。

奥塚市長:
福澤先生は栄一翁に『商売人にしては割合強い』と。

小島市長:
それに対し、栄一翁は『へぼ学者にしては強い』と返したんですよね。この応酬だけでも、お互いに認め合っていることが感じられますね。

奥塚市長:
思いが似ていて、今の日本を、違った角度からつくった二人ですから、認め合っていたんでしょうね。

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