日本の伝統的な工芸品とされている「押絵羽子板」と「ひな人形」。どちらも古くから、節句ものとして多くの方に親しまれてきました。時代とともに変わりゆく文化に対し、作品を手掛ける職人たちは、後世に伝統工芸を残すべく試行錯誤を続けています。
狭山市にも、その伝統を後世に伝えていこうと工芸品を作り続けている方がいます。今回は市内で唯一、現役で制作を行う職人のお2人をご紹介します。
■繊細さと力強さを併せ持つ「押絵」
松村綱義さん
約80年前に父が創業していた「松村人形」を平成5年に承継、16年に(有)押絵のまつむらを設立。押絵の制作に係る一連の技術を持つ押絵作家として、夫婦二人三脚でオーダーメイド作品の制作も行う。オンラインショップでも作品を販売中。
◇押絵とは…
ボール紙と生地の間に綿を入れ、膨らませてくるんだ半立体的なパーツを組み合わせて形にする技術のこと。平安時代に古くなった着物などを使って装飾品を作ったことが起源だといわれている
◇押絵羽子板とは…
桐で出来た羽子板に押絵で装飾を施したもの。邪気を祓(はら)う正月の贈り物、女の子の誕生を祝う節句ものとされており、その由来は、伝統的なお正月の遊びの一つである羽根突きにあるといわれている。羽根突きは元々「邪気をはねよける」という意味で、無病息災を願って年の初めに行われていた
北入曽にある松村綱義さんの工房には、まるで板から飛び出すかのように立体的に作られた華やかな作品が並び、そのどれからも技術の高さを感じることができます。
●全工程を一人で手掛ける職人に
父に弟子入りしたのが20歳の時。押絵羽子板の制作は分業が一般的で、父は人物の胴体のパーツを作る"胴屋さん"でした。作り手の高齢化が進むことを考え、いつまでも分業制を続けていると押絵の文化が途絶えてしまうのではないかと危機感を覚え、他の技術も身に付けることを決めました。大きな問屋から、単価が安いながらも全工程を手掛けることができる仕事を大量に受注し、場数を踏む。それにより、押絵に係る一連の技術を習得することができました。押絵の工程を分業せずに1人で制作できる人は、日本でも数少ないんですよ。
●伝統工芸を残すために、自分ができること
事業を継承した当時は、昔ながらの押絵羽子板を量産していました。歌舞伎の人気役者などをモチーフにした男物や、女の子の誕生を祝う女物が主でしたね。時代の変化に伴って次第に文化が変わっていき、生産量は減少。現代風の可愛らしい顔つきにしたり、額縁に入れてみたりと工夫をしましたが、なかなか売り上げは伸びませんでした。人の手を借りないと作ることができないのならば、需要が減ったら辞めることも考えるでしょうね。でも、私は押絵を自分一人で最初から最後まで作ることができるので、どうやったらこの文化を残していけるのかと、むしろ面白さを感じていたんです。
●“特注もの”が1番のこだわり
考えた結果、近年私が力を入れて取り組んでいるのは特注の「変わり羽子板」です。これは干支や似顔絵、キャラクターなどを押絵で作ったもので、全てオリジナルです。お客様から作品のイメージを伺い、そこからデザインを想像して提案します。お客様と都度やり取りをしながら、半月~1カ月ほどの期間で作り上げていく。これが自分の呼ぶ"特注もの"であり、私の強みです。特注ものをお客様に喜んでいただいた時は職人冥利に尽きますね。伝統工芸を残そうとするならば、技術を保持しつつ、時代に合わせて挑戦を続けていく必要があると実感しています。
●「押絵」をもっと身近に
押絵の文化は羽子板だけとは限りません。私が持つ押絵の技術を生かし、押絵を色紙に貼り付けてみたり、壁飾りや置き物にしたりと、これまでの押絵のイメージとは違った作品の制作にも取り組んでいます。場面に合わせた作品を作り出すことができれば、押絵の文化が残っていくのではないかと思いますね。今後は、一般向けの体験教室を行ったり、市内のマルシェに出品したりすることも考えています。多くの方が「押絵」という伝統工芸に触れ、興味を持っていただけたら嬉しいですね。
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