■資料がかたる行田の歴史63
▽絵日記にみえる忍城下の野鳥
沼地に囲まれた忍城の周囲では、昔から多くの野鳥が見られました。江戸時代に忍藩主が行った鷹狩りの記録には、マガモやサギなどの水鳥をはじめ、キジ、ウズラなどのさまざまな鳥の名前が記されています。これらの鳥は鷹狩りの獲物であったため、鷹狩りの資料に名前が残っているわけですが、当時はそれ以外の野鳥もたくさん生息していたはずです。
幕末の忍藩士・尾崎石城(せきじょう)が記した絵日記『石城日記』を見てみると、文久元(1861)年11月15日の記事に「午後翡翠写生図(ごごかわせみしゃせいのず)」という場面があります。「翡翠」は鳥のカワセミのことで、挿絵には僧侶の良啓(りょうけい)が小鳥を手で押さえ、石城がそれを写生している様子が描かれています。絵心のあった石城は草花や生き物をたびたび写生しており、この時も日常の一場面として絵日記に書き残したと思われますが、現代人から見ると、野鳥に素手で触れるという行為にぎょっとしてしまうかもしれません。野生動物に対する当時の感覚をうかがい知ることができる場面ともいえます。また、本文には「良啓子翡翠をとらへ来る」とあり、カワセミを見つけた場所までは書かれていませんが、良啓は忍城下の大蔵寺の僧侶であったため、おそらく忍城下のどこかでカワセミを見つけたのでしょう。水辺で餌を捕るカワセミにとって、沼地に囲まれた忍城の周囲は住みやすい環境だったと想像できます。
ところで、現在の忍城址でも時々カワセミの姿が見られるのをご存じでしょうか。近年も、カワセミが堀の水面近くを飛んでいたり、郷土博物館前の池で餌を捕ったりする様子が目撃されています。希少な野鳥ですので、見かけた際は触らずに遠くからそっと見守ってください。
(郷土博物館 岡本夏実)
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