『瑞花鴛鴦八稜鏡(ずいかえんおうはちりょうきょう)』
大分県立歴史博物館 原田昭一
令和五年二月二一日付けで、九重町釘野千軒遺跡の墓から出土した瑞花鴛鴦八稜鏡(以下、八稜鏡という)と白磁碗が大分県指定文化財として新たに指定されました。
八稜鏡は、字の通り八箇所の稜を持つ銅鏡で、製作技術の高さなどから都の工房で製作されたものと考えられます。大きさは、最大一一・六cmで外面には、豊年のめでたい花とされる瑞花と唐草文が描かれ、鴛鴦の文様が中央のつまみである鈕を中心に両側に配されています。鴛鴦とは、おしどりのことで、鴛がオス、鴦がメスを指しています。おしどりは雌雄がいつも一緒にいるといわれており、「おしどり夫婦」という言葉は、仲むつまじい夫婦のたとえとされています。八稜鏡の下からは、編まれた竹の破片が出土したため、この鏡は竹を編んだ箱の中に納められていた可能性が考えられます。
また、白磁碗は、口の部分の直径最大一八・四cmあり、中国から輸入されたもので、当時のものとしてはとても貴重です。
この八稜鏡は被葬者の胸のあたりから出土し、白磁碗は頭の周辺から出土しました。それぞれの出土品が墓のどの位置から出土したかについては、その出土品がもつ意味を解釈するうえでとても重要です
八稜鏡・白磁碗はいずれも平安時代後期に製作されたものですが、被葬者が大事に長く伝え持っていたことも考えられ、墓に納められた時代は平安時代後期だけでなく、鎌倉時代初頭を含めて考えなくてはいけません。
釘野千軒遺跡は現在の九重町役場周辺に所在します。「釘野千軒」は伝承地名にみられ、江戸時代に成立した『豊後国玖珠郡旧年記』には「釘野町百五十軒」と記されているため、江戸時代段階で町の存在が伝えられていることがわかります。発掘調査においても、戦国時代の道を挟んで両側に四七棟の掘立柱建物跡が並んだ様子が確認され、伝承を裏付ける成果が得られました。
八稜鏡と白磁碗が出土した墓は、戦国時代をはるかに遡る時代のもので、その時代の遺跡の全体像はつかめません。しかし、これだけの優品をもつ人物が九重にいたこと、そして、その遺物が現代に伝えられていることは、地元の誇りとして後世に永く伝えるべきものになりえます。
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