『登龍門』
文化財調査員 阿部秀幸
九重町は標高差に富む地形で、多くの滝が見られますが、中でも国指定文化財として名を知られているのが龍門の滝です。鎌倉時代に南宋から渡来し、臨済宗を広めた蘭渓道隆が、中国の黄河中流の急流・龍門に似ていることから名付けたと伝えられています。
この中国の龍門にまつわる故事に、「登龍門」があります。龍門の急流を登りきった鯉は、天に昇って龍になると言われていました。そこから、難関を突破して出世する事を「登龍門」と言うようになったとのことです。
龍は空想上の生き物ではありますが、様々な媒体に登場するため、なじみ深いと言ってよいでしょう。とは言え、龍とは何者かと改めて考えたことはあるでしょうか?中国において龍は神獣・霊獣として扱われ、ヘビのような細長い体に4本の足があり、シカに似た角を持ち、ひげを蓄えた姿で描かれます。中国の龍は日本にも伝わり、もともと日本にあった蛇信仰と融合していきました。蛇神は、湿地を好んで生息するため、龍も水神としての性質を帯びていきます。川の氾濫は龍が引き起こしていると考えられたり、龍神がすむという池で雨乞いが行われたりするようになりました。一方、西洋のドラゴンも日本語に訳せば龍ですが、翼をもつ巨大なトカゲといった風貌で、東洋の龍とはイメージが異なります。伝承の中での扱いも人間と敵対し、聖人や英雄がそれを退治するという場合が多く、中国や日本において龍が霊獣や神として扱われるのとはかなり違います。これは西洋の文化・文明が自然(龍)を開拓し、征服するという性質の強いものであったのに対し、東洋の文化・文明は自然(龍)と共存する思考に寄っていたことによるのかもしれません。
話を登龍門に戻しますが、身近なものとしては、端午の節句に、男の子の健やかな成長を願って揚げられるこいのぼりも登龍門の故事に起源があります。江戸時代、武家に男の子が生まれたしるしとして幟(のぼり・大相撲の興行などで掲げられる縦長の旗)を立てる風習があり、やがて庶民の間で登龍門にちなんで鯉を幟にするという発想と吹き流し式のこいのぼりの開発があり、現代のこいのぼりにつながったようです。こいのぼりを漢字で「鯉幟」と書くのはこのような由来によるのでしょう。
2024年は辰年です。今年1年の目標を立て、龍門の滝を登る思いで、それぞれの登龍門を目指してみてはいかがでしょう?
<この記事についてアンケートにご協力ください。>