■未来へ引き継ぐ荻・柏原水路
荻・柏原水路は、熊本県阿蘇郡高森町(当時は野尻村)の大谷川水源地からはるばる30キロメートル山あいをくぐって、丘陵地荻町へとつながる大動脈である。この通水が始まって100年目を迎えた。のちにこの水路が全面開通した時には、農民たちは泥水が勢いよく走る水路に一斉に飛び込んで喜んだという。かつて村人たちは飲み水にさえこと欠き、火山灰土の瘦せた土地で作られるのは陸稲やトウモロコシ、ダイズくらいだった。しかし、今ではこの水路のおかげで米やトマト、ピーマン等の生産地に生まれ変わった。水路の整備には、熊沢蕃山や工藤祐鎮らも臨んだが、残念ながら成功しなかった。その後、垣田幾馬父子が生涯をかけてこの事業に取り組んだ。幾馬は父小八郎のあとを継ぐ決意をし、県に働きかけて測量にかかった。また荻柏原耕地整理組合(現荻柏原土地改良区)を組織して水利権の獲得と水路用地の確保に奔走した。しかし、水利権の問題や工事費の工面、さらに「東の天竜、西の柏原・荻」と評されるほどの難工事で苦労の連続であった。幾馬はその先頭に立って、荻村長だった後藤哲彦らとともに荻・柏原井路開削工事に私財をかけて奮闘した。その結果、大正15年(1926)11月、父子二代40年の苦闘が実って荻・柏原水路が開通した。郷土の偉人である彼らたちの業績を讃えて、今でも毎年4月10日に町内にある「通水紀念碑」の前で「水恩祭」がおこなわれている。多くの関係者に加えて小学生も参加し、感謝の気持ちとともに未来に引き継ぐ思いを深めている。
(本田隆憲)
参考資料:荻町史
<この記事についてアンケートにご協力ください。>