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まるごと博物館219

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大分県竹田市

■宮処野神社「ジンボエ」の賑わい
宮処野神社の秋季大祭を「ジンボエ」と呼んで社記類には「神保会」と記されている。大化の改新以降、国毎に国司が置かれ新任国司が有名神社へ神宝を奉った神宝会に由来するようです。この神社は「嵯峨宮」と呼ばれ長くこの地方の人に親しまれてきました。嵯峨天皇に仕えた膳臣内侍の話しからきたもので、天皇崩御後、帰郷し尼となり産土の境内に天皇の御衣を鎮め奉仕し冥福を祈ったと云う。これを見た兄が妹を哀れみ仁寿3(853)年「嵯峨宮」を造営、現代の宮処野神社である。神保会の秋季大祭は10月15・16日の二日間(現在は10月の第2土曜日)で、この地方では最も遅い時期の祭りであった。
中心神事は神幸行列と祭礼市が立つことである。行列は3体の神輿の先伴として3組の獅子、2組の白熊が出る。なお、本宮、御旅所で神楽の奉納がある。文政元(1818)年の嵯峨宮御幸行列次第では幡、幟、提燈、弓、鉄砲、鐘、打物、挟、箱、辰頭、羽熊、拍子方、獅子等の大行列が神輿を中心に延々と続いたと記されている。
又神保会には「市」が立ち宮処野神社の社格昇進願事資料の中に「市」に関係する資料の写しがある。

仏原組市村嵯峨宮祭礼ニ付参詣人並商人書上帳
安政四(一八五七)年巳年十月
組控
一、十月十五日 参詣人二千三百人程
一、十月十六日 参詣人四千人程
一、諸商人 二十七軒酒場(三軒)、蜜柑賣(八軒)菓子賣、肴賣(十軒)、素麺賣(四軒)、甘酒賣。
(今市、木原、三佐、田中、竹田、三本松等より)抜粋

昭和30年代には50店ぐらい出ていたようで「蜜柑千駄」「焼肴千駄」と言われるほど、蜜柑と焼き魚が名物で必ず土産として買っていた。祭り当日は、神社周辺は参拝者で身動きがとれないほどの混雑であったと言い伝えられている。

参考:久住町誌、大分の発礼行事
(福澤皓一)

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