4年ぶりの合同調査 黒鳥町で見る・聞く・歩く
市史編さん室では、市内各町会の協力を得て、平成九年(一九九七)から、大阪市立大学(現大阪公立大学)日本史研究室との合同調査を行ってきました。
今月号では、4年ぶりに行った合同調査について、速報的に紹介します。
市史編さん室と大阪公立大学日本史研究室との合同調査は、過去に23回行い、古文書(こもんじょ)の発見、仏像や石造物の記録、住民からの古い記憶の聞き取りなど、数かずの成果を挙げてきました。調査に参加する学生にとっては、得難い学習経験となり、町会にとっては、町の歩みを見直す絶好の機会となっているようです。
新型コロナウイルスの影響で、4年ぶりに行われた今回の合同調査は、近年の「黒鳥村文書(くろとりむらもんじょ)」をめぐる注目と機運の高まりを受けて実現したものです。
「黒鳥村文書」は、令和3年3月に大阪府指定文化財となった、黒鳥町にゆかりの中世の古文書です。
今年3月には、その全点を解説する『和泉市史紀要第32集』が刊行され、これを記念する文化遺産フォーラムが開かれました。4月から5月には、いずみの国歴史館の企画展「『黒鳥村文書』からみた中世社会」において、全点が一斉に公開され、全国から来館者を集めました。
さて、令和4年5月号の市史だよりでも紹介したように、現在の黒鳥町は、鎌倉時代の建長(けんちょう)八年(一二五六)の古文書に見える「黒鳥村」からの歴史があります。
18世紀後半(江戸時代・今から約250年前)には、黒鳥村の内部に、辻村・郷荘・上村・坊村の四つの村がありました。これらは現在の辻小路(つじしょうじ)(第一町会)、郷小路(ごうしょうじ)(第二町会)、上泉(かみずみ)(第三町会)、坊小路(ぼうしょうじ)(第四町会)につながります。
今回の合同調査では、これら江戸時代からの歴史を持つ町会を調査し、信太山(しのだやま)丘陵にある祠(ほこら)「牛神(うしがみ)さん」をお祀(まつ)りする仕組みや、座や講などの伝統的な組織において、町会ごとに違いのあることが分かりました。
ところで、現在の市史編さん事業は、平成六年(一九九四)に黒鳥町で行われた古文書調査をきっかけに始められたものです。
この時の調査では、江戸時代に庄屋をつとめた旧家から、大量の古文書が見つかりました。古文書からは、江戸時代の黒鳥村がどのように構成されていたのか、そして、新旧の庄屋が交代する際に、どのように文書が引き継がれていたのかが分かりました。これは、江戸時代の研究において、とても意義のある出来事でした。
市史編さん事業の「ふるさと」とも言える黒鳥町での今回の合同調査は、新たな古文書の発見もあり、充実した成果をもたらしました。
黒鳥町には、近代以降にできた新しい町会もあり、和泉市における戦後の発展も物語っています。それらを含めた歴史の解明は、これからの課題として残されています。
今回の調査成果の一部は、今年度に刊行を予定する『和泉市の歴史5』にも活かされることでしょう。
問合せ:文化遺産活用課
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