2 平野環濠跡:平野宮町2-1(杭全公園内)
平野環濠のつくられた時期は不明であるが、戦国時代の動乱の時代に自衛と灌漑、排水あるいは洪水の調節池としての役割をになったと考えられる。まちの周囲にめぐらされた濠は平野川ともつながっていたことから、舟運もひらけ、繁栄の基礎ともなった。
3 大念佛寺:平野上町1-7-26
融通念佛宗の総本山で大治2年(1127)に聖應大師が開基したと伝えられている。明治31年(1898)の火災で多くの堂宇を失ったが、現在の本堂は昭和13年(1938)に竣工し、府下最大の木造建築物として国の登録有形文化財に指定されている。また、境内のクスノキとイチョウは市の保存樹に指定されている。
※令和6年9月13日現在、本堂屋根改修工事中。令和7年完成予定
4 末吉家住宅:平野上町2-3-5
平野七名家の一つであり、東横堀川に末吉橋を架けた。平野郷町誌によると、屋敷の竣工は宝永4年(1707)頃で、築300年以上たった現在も、その壮麗な姿を保っている。江戸中期に建設された住宅、門、塀、西蔵は国の登録有形文化財に登録されている。
5 旧南海電鉄平野線平野駅跡プロムナード:平野本町2-3
チンチン電車の愛称で親しまれた南海電鉄平野線の軌道跡地に、昭和58年(1983)に設置された遊歩道。南海電鉄平野線は、大正3年(1914)開通以来多くの人々の交通手段として活躍したが、地下鉄谷町線の開通にともない昭和55年(1980)に廃止された。
6 小林新聞舗店舗:平野本町4-12-3
2つずつ配したアーチ形の窓枠が特徴のレトロな建物で、「新聞屋さん博物館」にもなっている。明治22年(1889)創業の、市内でもっとも古い朝日新聞の販売店で、建物は昭和4年(1929)に建てられた。平成19年(2007)国の登録文化財となった。
7 野中山全興寺:平野本町4-12-21
1400年前、聖徳太子が建立し、薬師如来像を安置したのが草創と伝えられる。焼失により寛文元年(1661)に再建された本堂は、府下でもっとも古い木造建築の一つ。境内には「地獄堂」や「小さな駄菓子屋さん博物館」等があり、来訪者を楽しませている。
8 赤留比売命神社(三十歩神社):平野東2-11
杭全神社の摂社で、新羅より渡来した女神、赤留比売命を祀る。俗称の三十歩神社は、応永年間(1394~1428)の干ばつ時に法華経三十部を読誦したところ霊験あらたかであったためと言われる。社殿背後に位置する平野公園は、かつて松山池として環濠の一部を構成しており、現在でも境内に残る土塁から当時の姿をうかがうことができる。
9 平野郷十三口の地蔵尊:
平野市町3-7、平野上町1-5、平野東2-3・4・11、平野本町1-7・12、平野本町4-2・4・12-21、平野本町5-9、平野宮町2-4
平野郷は壕と土塁に囲まれた環濠集落で、馬場町、泥堂町、市町、野堂町、背戸口町、流町、西脇町の本郷七町に、惣門といわれる十三の出入口が設けられ、地蔵尊が置かれていた。社内口地蔵、泥堂口地蔵は現在、全興寺に安置されているが、他の11か所のお地蔵さんは、現在も出入口付近に残されている。
11 奥田邸とその裏の道:加美鞍作1-8-5
河内国付近の10村の庄屋代表を勤めた奥田家の邸宅。主屋をはじめ、米蔵・乾蔵・長屋門などが国の重要文化財に指定されている。また、奥田邸の敷地内の樹木と、裏の道沿いにある大きな楠とが調和し、落ち着いた景観を形成している。※奥田邸見学希望の方は、平日に事前の電話予約が必要です。
13 如願寺:喜連6-1-38
崇峻天皇元年(588)、聖徳太子により「喜連寺」として創建され、のちに弘法大師により再建され、弘仁8年(817)「如願寺」と改号。木造彩色聖観音立像は平安期作の府指定文化財に指定されているほか、奈良時代の乾漆像である弁財天、平安期の木造地蔵尊などがある。
14 屋敷小路(喜連環濠地区内):喜連4-4、6付近
喜連環濠地区の中高野街道沿いには、江戸期から明治期にかけて建てられた旧家の建物など、歴史的まち並みが残されている。古代伎人郷が中世の環濠集落、近世の惣村へと変遷発展していったことを裏付ける史料群が続々再発見され、その歴史が明らかになりつつある。
15 八坂神社と椋の木:喜連東2-1-14
東喜連村の氏神牛頭天王(神道令で全国的に八坂神社と改称)は村の古代社媛天神・春日社を合祀する村社だった。明治42年(1909)楯原神社に合祀されたが、戦争が終わり、昭和26年氏子の決議で再建された。境内の椋の木は根周り4mの大木である。
16 喜連環濠六口の地蔵尊(北口、尻矢口、西口、馬倉(馬場口)、東口、南口):喜連3-7、4-5、7、6-1、5
六口の地蔵尊の位置と名称から中世喜連城の惣構がわかる。環濠の口口は戦乱時には矢倉が建つ村の関所だった。近世に関所は地蔵堂に変り、村人の生活に溶け込み、子どもたちを守る仏様に転じ、夏の風物詩「地蔵盆」として、今も親しまれている。
18 花塚山古墳:瓜破東4-4(瓜破霊園内)
5世紀ごろ築造の円墳である。直径約25m、高さ約2.5mあり、幅約5mの周郷があったと推定されている。本格的な発掘調査が行われていないので、内部構造はわからないが、頂上部には木棺直葬の遺物が有るものと推定されている。
20 志紀長吉神社参道:長吉長原2、3丁目
大鳥居から神社鳥居まで約200m続き、平成7年(1995)に地域住民の費用で石畳風に整備され、令和6年(2024)に再補修された。志紀長吉神社は真田幸村が刀剣と軍旗を奉納し、戦勝を祈願したとされる場所で、区内の重要な歴史的資源である。
21 川辺八幡神社:長吉川辺1-4-38
石清水八幡宮を勧請。後醍醐天皇の宸翰を賜る。宝永元年(1704)の大和川付替工事により現在地に遷座。境内の楠には黒龍が宿るという伝承があり、推定樹齢300年以上で大阪市の保存樹に指定されている。
※詳細は本紙でご確認ください。
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