結婚=入籍の時代を生きた女性―近代、イエ制度下の女性
明治政府は、1873年、軍隊に必要な徴兵制のために戸籍制度を整備した。1889年に制定された『大日本帝国憲法』と『皇室典範』は同等の権威をもち、男性しかなれないとされた「現人神(あらひとがみ)」である天皇が統治することを決めた。1890年には『教育勅語』によって「父母ニ孝ニ」「夫婦相和シ」の精神が求められた。親に従い、夫に従う生き方である。それは、国家=天皇に従って生きる「臣民」(国民)のありようも示した。国家の一大事である戦争がおこれば、命を投げ出すことが求められ、戦死した人は「英霊」として靖国神社に祀(まつ)られた。
1898年、国家体制を支えるもっとも小さな共同体である「家族」には、イエ制度が法制化された。イエ制度の基本は父系の血統集団だが、養子制度は認めた。結婚は相手の家の戸籍に入ることで、「入籍」だった。長男を通して家名、家督(かとく)(財産)、祭祀権(さいしけん)(過去帳、仏壇・位牌、墓)が継承された。個人の生き方よりも先祖を大事とする「家」が優先され、国家を支えた。
イエ制度に生きる女性は結婚してあたりまえ、長男を産まなければならず、国家のために「産めよ殖(ふ)やせよ」が強いられた。「嫁をもらう」「嫁にやる」「娘をかたづける」などのことばが使われたように、モノのように扱われた。良妻賢母思想が教育され、夫・嫁いだ家に従順な妻であり、子どもの教育ができる母であることが求められた。貞操教育も行われ、女性のみに姦(かん)通罪が適用された。戦時には、「銃後の妻」「日本の母」として生きた。イエ制度に生きる女性は、求められた生き方ができてこそやっと「一人前の女性」として認められたのである。
一方男性は、長男はイエの跡継ぎとして一家を支える家長として生きることが求められた。次男以下には労働力、兵力が求められた。徴兵検査に合格し、働いて妻子を養える男性こそが「一人前の男性」だった。
1945年8月、日本は敗戦を迎えた。
女性学研究者・世界人権問題研究センター
登録研究員:源(みなもと)淳子(じゅんこ)
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