■「油彩に負けない分野に」新しい世界に挑み20年
クレパス画家
田伏 勉(たぶし べん)さん(74歳)
油絵のように描けるクレパスに魅せられて20年余り。学童用というイメージが強かった日本生まれの画材で描くクレパス画を芸術の領域に高めた第一人者です。
◇テレビ講座がきっかけ
小学生で画家志す市立明和小学校5年生のとき、テレビの油絵講座を見て絵画に興味を持ちました。「線のない真っ白なノートに6本入り60円のクレヨンで自宅の周りの風景を描いていました」。この頃、画家を志したといいます。
入学した大阪市内の高校では中学校にはなかった美術部に。勉強より制作に励み、美術大学を目指しましたが「美術では食えん」と父親の反対に遭い断念。それでも「可能性はゼロではない」という担任に背中を押され、美研(びけん)の愛称で知られる大阪市立美術館の美術研究所で基礎を学びました。
◇文具会社のアルバイトが転機 プロ用のクレパスと出会う
2年で卒業した後も研究所で制作活動を続け、28歳のときに月謝の研究料などが免除される特待生に。しかし生活は苦しく、文具メーカーの倉庫で勤務。「絵の具などが山積みされた処分予定の画材をもらい、貧乏な絵描き仲間にも配って喜ばれました」が、このときのアルバイトが転機になりました。
線画が描きやすいクレヨンと色を混ぜやすいパステルの長所を併せ持つクレパスは、この文具メーカーが大正14年に開発。クレヨンとともに子どもたちに親しまれてきたもので、田伏さんは約20年前に高級顔料を使った88色のプロ用のクレパスと出会いました。
◇油絵の技駆使し大作も駅をテーマに人生描く
海外ではオイルパステルと呼ばれ、「色を重ねたり伸ばしたり。油絵の具で描くテクニックが使えるので驚きました」。所属する独立美術協会の展覧会に出品すると、誰もクレパス画と気づかず新たな可能性を確信。「水彩や油彩に負けない分野にしてやろう」と51歳のときにそれまで使っていた大量の絵の具を捨て、クレパス画に専念しました。
以来、サイズが50号や100号に及ぶ大作にも挑戦し、「駅シリーズ」ではフランスを中心に約300か所の駅舎を訪問。「駅にはいろいろな物語が詰まっています。そこを利用し通り過ぎる人々の人生を重ね合わせて描くようになりました」。
クレパス画の技法も研究してきました。カルチャーセンターで担当する週3回の講座でもユーモアを交えながら技を指南。「皆さんに教えることが次の発見につながり、クレパスでここまで描けるのかという驚きを伝えたい」と思いは尽きません。
■私とふるさと
市立第四中学校では吹奏楽部でドラムをたたいていました。ところが3年生のときに指導の先生が他校に移ったため休部に。校内マラソンではいつも上位に入るなど走ることが好きだったので陸上部に入り、1500mなどの中距離を担当しました。
生まれ育った打上地区は自然がいっぱいで、当時は道路も砂利道でした。子どもの頃に見た風景が取材で訪れたフランスやベルギーの田舎の光景と重なり、懐かしく思えました。
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