実は、市内の3つの建造物が「国登録有形文化財」の登録を受けています。こんな近くに「名作」と呼ばれる歴史的建造物があったなんて、寝屋川市って、すごいんですね。
(1)八木家住宅(香里本通町)
令和5年8月 国登録 有形文化財(建造物)
1930(昭和5)年に竣工した「八木家住宅」は、当時大阪で栄えていた繊維業に関わっていた八木市造が、建築家藤井厚二に設計を依頼し、大工棟梁(とうりょう)酒徳金之助によって建てられた木造住宅。和と洋の暮らしがバランスよく共存した、日本のモダニズム建築の傑作である。
藤井が「日本の住宅の理想形」として大山崎で自邸「聴竹居」を完成させた2年後に、八木家住宅を竣工させており、藤井の理想を実現させた、現存している数少ない住宅建築である。
・食事室。肘掛椅子も藤井のデザインによる。幾何学模様の照明・窓の木製建具が統一感を醸す。
・書斎。網代の天井が印象的。それまで京都の嵐山に住んでいた市造は、大阪や神戸への通勤に便利な香里園に自宅を選んだ。
■建築家 藤井厚二
(1888年–1938年)
広島県福山市出身。東京帝国大学卒業後、竹中工務店勤務を経て、創設された京都帝国大学建築学科で教鞭(きょうべん)を執る。自らが始めた今で言う環境工学の知見を生かし、日本の気候風土と日本人の感性に適合する住宅を生涯にわたって追求した。
◇代表作
聴竹居(ちょうちくきょ)(京都府大山崎町)
平成29年 国指定 重要文化財(建造物)
「日本の住宅の理想形」として知られ、建築士試験にも登場する名作「聴竹居」(昭和3年竣工)を第5回自邸として設計しました。聴竹居は平成25年に現在の上皇ご夫妻も行幸啓されました。
・食事室…間仕切りの柱を中心に弧が描かれるデザイン。独立しつつも居室との連続性を保っている。
・外観全景…視界に軒裏が入らないよう、ガラス窓上部はすりガラスにして風景を切り取るようになっている。
「日本の住宅は壮大で感動的な様子は持たない。ただ、見るもの全てに慕われるような魅力がある。」
藤井厚二 言
「其の国の建築を代表するものは住宅建築である」
藤井厚二 言
(2)聖母女学院校舎
(美井町 ※香里ヌヴェール学院内)
平成9年5月 国登録 有形文化財(建造物)
校門を入って正面の玄関から廊下で結ばれる校舎は、1932(昭和7)年に現校地に移転した当初に建設された。
細部の装飾や陰影を帯びた仕上げを排し、四角い箱を組み合わせたような直角と水平を主体にしたデザインや白く塗られた壁が、「白と直角の美学」に染まった当時の日本のモダンデザインの特徴を表現している。
・設計は旧帝国ホテルの設計チームの主任製図工を務めたアントニン・レーモンド。1932(昭和7)年竣工。アーチ状のコロネード(列柱)を構えた正面入り口が大きな特徴。
・旧雨天体操場(現ルルドホール)。装飾のない近代建築様式が実現されている。正面玄関などのスパニッシュミッションスタイルに対し、当時は珍しいコンクリート打ちっぱなしのモダニズム建築空間である。
■建築家 アントニン・レーモンド
(1888年–1976年)
チェコ出身。1919(大正8)年に旧帝国ホテル建設の際に来日。多くの日本人建築家を指導した。欧米と日本の様式を融合させたデザインで数多くの作品を残す。
◇代表作
イタリア大使館別荘記念公園本邸(栃木県日光市)
平成13年 国登録 有形文化財(建造物)
1928(昭和3)年竣工。レーモンド代表作の1つ。平成9年まで歴代の大使が使用していた。
(3)平池家住宅(平池町)
令和3年6月 国登録 有形文化財(建造物)
主屋。1858(安政5)年竣工。南面中央を玄関とし、東側に座敷と縁側と庭、西側に台所などを構える。もとは西に隣する建物と繋がっていた。
・長屋門。1862(文久2)年竣工。通りに南面する。東西に門番部屋の名残がある(西側は後に撤去して塀とした)。
◆特別見学会のお知らせ
今回紹介した、市に所在する国登録有形文化財(建造物)である「八木家住宅」「聖母女学院校舎」「平池家住宅」の特別見学会を実施する予定です。
令和6年11月17日・18日実施予定
詳しくは「広報ねやがわ」10月号でお知らせします。
問合せ:文化スポーツ室
【電話】813・0074
<この記事についてアンケートにご協力ください。>