「7世紀の柏原」
7世紀という時代は、それまで続いてきた古墳時代が終わりを迎え、律令制国家としての奈良時代へ向かっていく変革の時代です。柏原市域でもこの時代には大きな変化が起きます。
まず、生活環境としての集落がそれまで鉄器生産でにぎわっていた大県遺跡から玉手山遺跡や田辺遺跡などへ移動する、新しい集落である高井田遺跡が出現するなどの変化が起きます。この集落の移動は周辺環境の変化や7世紀中ごろに渡来系氏族である田辺史(たなべのふひと)氏の勢力が拡大することなどが原因と考えられています。また、高井田遺跡の発生は鳥坂寺の創建に関わるものと考えられ、寺院の環境が整った8世紀には衰退していきます。
次に、河内六寺をはじめとする古代寺院が多く建てられるようになるのもこの時期の変化の一つとして挙げられます。古くは7世紀初に建てられた船橋廃寺から始まり、7世紀中ごろから後半にかけて大県郡と安宿郡において寺院の建築が進んでいきます。
そして、これらの変化にも大きく関わるのが龍田古道などの道の整備です。『日本書紀』推古21(613)年に記されている「難波より京に至る大道」のルートとして整備されたとみられる龍田道、そして同時期に整備されたとみられる東高野街道も寺院の建築や集落の移動などの一因として考えられます。
歴史資料館では3月23日から6月9日までこれらのことを考える春季企画展「古墳から古代へ」を開催しますので、ぜひお越しください。
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