■初動対応と基本的人権問題
大阪教育大学名誉教授
堀 薫夫
今年の日本での大事件といえば能登半島の地震だろう。その関連で思い出すのは、一九九五年一月一七日の早朝、阪神・淡路大震災のときだ。大きな揺れで飛び起きテレビを点けた。その一声。「たいしたことはないようです」(少しあとで「いえ、とんでもないことです」とは流れたが)。東日本大震災のときも同様だった。「原発の被害はないようです」。大川小学校では津波の警報後、一時間近くも子どもたちが学校で待避させられ、結果として七四名の幼い命が奪われた。逆に本年一月二日に起きた日航機衝突事故では、乗務員の素早い対応のため、一人も犠牲者が出ることはなかった。能登半島地震ではNHKのアナウンサーが絶叫で津波の危機を訴えていた。
これらの事例が示すのは初動対応の重要性だ。アメリカの教育学者ドナルド・ショーンは、プロとアマチュアのちがいは、「危機的な状況下でも、臨機応変かつしぜんに対応する力を有していることだ」と言う。そしてその初動を軽視していると、人びとの(基本的)人権と人命を奪うことにつながりかねない。世界人権宣言の第三条「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する」。その場の責任者が、深刻な(社会・災害)問題を軽く考え、初動を軽んじることは人権侵害に通じる。「たいしたことない」と思う心の緩みが、ひいては大きな惨禍に通じうるのだ。
初動対応がためらわれる一つの要因は「正常性バイアス」にある。これは危機的な状況に陥っても、「まさか自分の身の上には起きないだろう」「たいしたことないだろう」と思う心理状態をさす。しかしその「たいしたことはない」の一言が大きな人権侵害につながることもある。私はいまだに、あの「たいしたことない」の一言が忘れられない。
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