【百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録5周年! 4.埴輪の世界】
古墳の発掘調査をしていると、埴輪が見つかります。粘土を用いた焼き物で、もともと古墳の墳丘や堤に立て並べられていました。古市古墳群で最大の前方後円墳、応神天皇陵(誉田御廟山(こんだごびょうやま))古墳では、実に2万個もの埴輪が樹立されていたと推定されています。
埴輪には、円筒埴輪と朝顔形埴輪、形象埴輪があります。円筒埴輪は丸い土管のような形をしており、埴輪の中では一番数の多いものです。また、朝顔形埴輪は円筒埴輪の上部が朝顔の花のようになったものです。これに対して形象埴輪は、動物や物、家や人物といったものを模しています。
円筒埴輪は、墳丘や堤の平らな部分に列をなして立て並べられ、その中の数本に一本、朝顔形埴輪が立てられていました。これに対して形象埴輪は、埋葬施設のある後円部頂や、造出(つくりだ)しと呼ばれる墳丘に取り付く突出部分、濠の中の島状遺構、あるいは堤の一部といった、特定部分に樹立される例が多いようです。
ここで、形象埴輪の中でも、水鳥形埴輪と船形埴輪にスポットをあてて見ていきたいと思います。
古市古墳群で見つかった水鳥形埴輪では、津堂城山古墳のものがよく知られています。船形埴輪は、岡古墳出土のものが全形を窺える資料で、アイセル シュラ ホールの特徴的なモチーフの一つとなっています。また、林遺跡の発掘調査では、船首に鳥がとまった船形埴輪が見つかっています。林遺跡のものなどは、古墳時代、人々の考えの中で鳥と船が密接な関係にあったことを示すものと言えるでしょう。
立命館大学名誉教授の和田晴吾さんは、この資料や円筒埴輪に描かれた船の絵などを検討されました。そして、著書『古墳と埴輪』(岩波新書)で、古墳時代の人々は、死者の魂は鳥に誘われた船に乗って他界へと赴き、そこで安寧な暮らしを送るという信仰にしたがって葬送儀礼を執りおこなっていたと考え、「天鳥船(あまのとりふね)信仰」と名づけられました。和田さんは、「天鳥船信仰」は古墳時代を通じて継続し、別々に作られた船形埴輪や水鳥形埴輪も、その信仰を表現するものであったと考えられています。
ところで、岡古墳の船形埴輪は長さ1・5メートルあります。また、津堂城山古墳の水鳥形埴輪は三体あり、最も大きいもので高さ1・06メートルあります。いずれも日本列島で見つかった中で最大級のものです。
私は陶芸で食器をつくったことがあるのですが、粘土自身の重みでひしゃげたり、いびつになったりして苦労したことを覚えています。このことからも、1メートルを超える大きなものを粘土でつくり、さらに焼成することはかなり困難で、失敗作も多かったろうと想像できます。それにもかかわらず、古墳時代、たくさんの大きな埴輪がつくられ、世界遺産の価値の一つである、入念で独特な葬送儀礼が行われたのです。
(文化財保護課 新開義夫)
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