【INTERVIEW1】ふうせんの会
NPO法人ふうせんの会
令和元年に任意団体として活動を始め、4年にNPO法人に。子どもたちが安心して交流できる場をつくり、夢をもって自分らしく生きていけるような社会をつくるために活動している。
問合せ:大阪市中央区谷町2-2-20 市民活動スクエアCANVAS谷町
【電話】06-4790-8881
◆誰かを頼ってもいいんだよ
ヤングケアラーを支援するふうせんの会。そのスタッフである、山中さんと高岡さんに、子どもたちが抱える課題や家族の在り方について聞きました。
Q:ケアと手伝いの違いは?
A:場合にもよりますが、その行為が大人の見守りの中で行われているか、する・しないの選択肢が子どもにあるか、などが挙げられます
Q:何歳までが対象?
A:はっきりと決まっていませんが、18歳までを子どもケアラー、それ以降を若者ケアラーと呼ぶこともあります。切れ目のない支援が必要です
Q:子どもが抱える課題は?
A:その子によって異なります。しっかりその子の心の声に耳を傾けてください
Q:どんな活動をしているの?
A:ヤングケアラー同士がつながる場をつくったり、理解を広めるためのセミナーや講演をしたりしています
▽山中葉月さん
幼い頃に父親が病気を発症し、中学~高校時代に兄が心の不調を抱えた。母親が家族を支えながら、葉月さんも感情面のサポートを担うことがあった。精神保健福祉士の資格を取得し、ふうせんの会で子ども・若者をサポートする
▽高岡里衣さん
小学4年生の時に母親が難病を患い入退院を繰り返すように。24年間にわたって母親の通院の付き添いや家事を担うようになった。当時のケアの経験を踏まえ、ヤングケアラーへの支援活動や普及啓発の講演会などを行う
◆子どもの頃
山中:私の家族は、父と兄が心の不調を抱え、それぞれ自分の人生を生きるのに必死でした。その中で母は、家族に目を向けてサポートしてくれていました。
私は学校が居場所になっていて、学校の友達と一緒にいることが楽しく、心のよりどころでした。友達の中には家庭でケアの役割を担っている子もいて、それぞれ悩みやしんどさを抱えていました。でも家庭のことをお互い深く話すことはなかったです。話さなくても、「友達」として一緒に居る、当時はただそれだけで良かったんです。みんなその時を楽しみながら、それぞれの悩みに直面しながら、「日常」を過ごしていました。家庭環境が似ていても似ていなくても、みんなが友達であることに変わりがありませんでした。
高岡:私が9歳の頃に突然母は難病にかかりました。幼い頃から母の手伝いをよくしていたこともあって、母の身の回りのサポートや家事を自然と私が担うようになっていきました。小学生の頃は、不安な思いや寂しさを言語化することは難しかったです。中学・高校生くらいになってからは周りの友達と自分の生活の違いなどを感じる機会が増えていきました。入学式や卒業式などの学校行事に親が参加することは難しかったし、日々の家事などしなくてはいけないことが常に山積みでした。
部活動をしたり、友達と放課後の時間を楽しんだりするような発想はあまりなかったです。しんどがっている家族が家にいると何をしていてもずっとどこか気がかりで、毎日憂鬱な気持ちでした。でもそうした家族の悩みを誰かに話すことはあまりなかったです。
◆抱え込む
高岡:家のことを友達に話そうとしたことは何度かありました。でもなかなかうまく伝えられなくて。この人ならと思った友達に家のことを少し話してみたときに、悪気はないだろうけど「へーそうなんや」みたいな感じであっさり流されることもあって。時には「なんで今そんな話すんの?」「なんか暗くない?」と言われることもありました。そういう経験が重なって、誰かに家のことを話したところで何かが解決するわけでもないし、結局は家に帰って頑張らないといけないのは自分だから、言っても良いことないなと思うようになりました。
山中:私も家族のことを話すことはなかったです。まだ当時は父や兄に治療が必要なほどのしんどさがあることに気付かないまま過ごしていました。また、多かれ少なかれ各家庭にはそれぞれの事情があると思っていたので、誰かに話すことではないと思っていました。それに、家族のことを勝手に想像されて、「普通」ではないと決めつけられることも、家族にとって良くないことだと感じていました。
高岡:私も学校では「学校用の自分」として過ごすようになっていました。学校では本当の自分はさて置いて、みんなと対等な立場で時間を過ごしたい。そう思っていました。
山中:誰にとってもサポートが身近なものであればと思っています。ただ、当時の私は「サポート」「支援」という言葉を聞いて、私たち家族が利用できるものとは感じていませんでした。
高岡:母は、自分が病気を患っていることで家族に負担をかけてしまっているとずっと気に病んでいました。闘病生活を送る母の隣で私もその葛藤を感じていたので、そんなふうに自分を責めないでほしいと思っていました。誰も病気になんてなりたくないし、お世話もされたくない。母自身が一番苦しんでいたんです。だから、ヤングケアラーのニュースが流れたときは、見せたくなくて思わずテレビを消しました。
そんな私が自身のケア経験を話そうと思えるようになったのは、似たような境遇の元ヤングケアラーの方に出会えたことがきっかけでした。その方のケアをされてきた思いを聴いていると、自分が苦しかったときの思いとぴったり重なるところがあって心が震えました。こんなふうに過ごしてきたのはひとりじゃなかったんだと、これまでの孤独が癒されるような思いでした。
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