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【たかつき歴史アラカルト114】ちょっと昔のお雛(ひな)さま

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大阪府高槻市

しろあと歴史館では、ちょっと昔の雛人形や雛道具を収蔵しています。主に明治から昭和30年代ごろに家庭で飾られていたもので、現在の雛飾りとは少し違った趣が感じられます。
現在では、雛飾りは一式そろえて購入するのが一般的ですが、かつては少しずつ買い足したり、節句の祝いに贈られたりしたものを並べていました。そのため、明治40年代生まれの祖母の内裏雛(だいりびな)と三人官女、昭和初期生まれの母の五人囃子(ばやし)と三人仕丁(しちょう)、昭和30年代生まれの娘の随身(ずいじん)と、世代の異なる雛人形を、ひとつの雛壇に飾る例も見られます。
また、雛人形の前でままごとに興じたり、人形に膳を調えて供えたりしたのでしょう。明治時代に新調され、10組ずつ木箱に納められた陶磁器の小皿や小さな茶碗が、雛道具として伝えられています。さらに、おけやざる、包丁やおろし金などの調理道具を備えた台所の模型、羽釜や鍋を備えたかまどの模型も、雛道具に含まれています。このように台所道具を雛道具に加える風習は、江戸時代から京坂地方で見られ、風俗史家・喜田川守貞の著書『守貞漫稿』(天保8(1837)年~嘉永6(1853)年)にも記されています。
もう一つ、守貞が京坂地方の特徴的な雛飾りとして紹介しているのが御殿飾りです。御殿飾りは、寝殿造の御殿の模型を据え、室内や縁側・庭前に雛人形を配置する飾り方で、江戸時代から見られます。当初は素木の木肌が清々しい御殿が主流で1・2段の雛壇に飾っていましたが、大正~昭和時代には華やかに彩色された御殿を最上段に据え、人形を各段に振り分けて4~7段とする飾り方が流行しました。
どのお雛さまも各家庭で大切に飾られてきたのでしょう。ときには女雛(めびな)の扇や仕丁のちり取りなどの小物が、手作りで補われているのに気付くこともあります。
(しろあと歴史館)

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