■鈴木空如(すずきくうにょ)をご存じですか
今回は、焼損する前の法隆寺金堂壁画の原寸大模写に取り組んだ仏画家の鈴木空如について紹介します。
▽鈴木空如とは
明治6(1873)年、現在の秋田県大仙(だいせん)市に生まれた鈴木空如(本名:久治)は、日清戦争に出征したのち、明治31(1898)年に東京美術学校日本画選科に進学して日本画を学びました。このときに法隆寺金堂壁画の模写を行った桜井香雲(さくらいこううん)の模写絵を見る機会があったと考えられています。明治34(1901)年、奈良と京都方面の修学旅行では、法隆寺金堂内の薄暗いなかで壁画を見たことを日誌に記していて、この頃から高い関心を持っていたようです。同校研究科修了後、鈴木は法隆寺金堂壁画の模写に取り組むことを生涯の目標にします。
模写の第一作目は大正11(1922)年、第二作目は昭和7(1932)年、第三作目は昭和11(1936)年と、生涯で合計3回の模写を独力で行っています。
当時、まだ電灯などの明るい光源もないなかで、剥落(はくらく)やひび割れといった細部に至るまで精緻(せいち)な模写を行っています。このことから、金堂内に長時間滞在して模写作業を行い、壁画の高いところを模写する際には梯子(はしご)を用いるなどしっかりと観察したことがうかがえます。しかし、鈴木自身は制作日誌を残しておらず、また、法隆寺の正式な記録にはこの模写作業のことは記されていないため、この模写がどのように行われたかについては明らかではありません。ただし、壁画の各部分を描いた下図が多く残されていることから、細部を詳しく観察して下図を描き、そうしたものをあわせて描くことによって完成させていったと想像されます。模写の目的や意義はいくつかありますが、鈴木空如の模写絵は、芸術作品としての価値はもちろんのこと、国指定重要文化財の「法隆寺金堂壁画写真ガラス原板」と同様、昭和24(1949)年の焼損前の金堂壁画を知るうえで重要な資料となっています。
▽「法隆寺金堂壁画展」の開催
大仙市主催による生誕150年を記念した「鈴木空如筆法隆寺金堂壁画展」が、法隆寺協力のもと、聖徳会館を会場に、令和5年11月3日から18日までの16日間開催されました。会場は、これまで実現されてこなかった第三作目の全12点が一堂に展示された迫力のある展示となったことから人々の関心も高く、四千人に迫る多くの人が来場され、盛況な展示会となりました。
展示会のようすは、大仙市と地元放送局とで制作された動画が放送局の公式YouTubeで配信されていますので、興味のある人はご視聴ください。
■斑鳩文化財センター・史跡中宮寺跡で活躍中!ボランティア大募集~随時受け付けています~
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▽主な活動内容
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