■豊臣氏ゆかりの落ち武者 山伏姿で奉持して来た“虚空蔵様”丸森の虚空蔵堂(丸森)
伊具高校から西方に「福一満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくぞうだいぼさつ)」が祀られており、この周辺は「虚空蔵(こくぞう)」という地名になっています。
仙台藩の国勢調査ともいわれ、1779年(安永8年)に編まれた安永御用風土記書出(あんえいごようふどきかきだし)には「虚空蔵屋敷にあり、勧請者(かんじょうしゃ)、年月共に不詳。東西三間、南北七間の境内に東向二間四面の堂がある。木仏立像の本尊の長さは、一尺一寸で作者は不詳。別当は本山派(ほんざんは)の修験(しゅげん)の三明院で、3月13日、9月13日が祭日である。」などと記されています。明治初年の修験道廃止令により、修験寺院の三明院が廃寺となり、代わって曹洞宗の西圓寺(さいえんじ)が別当になりました。
地元の伝承では、「大坂夏の陣の1615年(元和元年)、豊臣氏の滅亡により落ち武者となった斎藤和泉守(さいとういずみのかみ)が修験者に身を隠し守護神である虚空蔵菩薩を奉持してこの地まで逃げ延び、祀ったものである。」と伝えています。
また、藩政時代から現在までの屋根の葺き替えや修復時に納められた棟札(むねふだ)などが保存されており、虚空蔵様とそれを守ってきた人々の歴史を今に伝えています。それらを見ますと、当初の斎藤家の産土神(うぶすながみ)として祀られていましたが、1689年(元禄2年)4代目斎藤籐兵衛、斎藤金四郎、斎藤長四郎、岡崎茂右衛門と名が記されていますので、この時代には数軒で祀るようになったものと思われます。幕末には26名の氏子が記されており、町場の人たちの名前もあります。
2007年(平成19年)には、氏子62名が記されており、広範囲にわたって信仰されるようになった虚空蔵大菩薩の姿を見ることができます。
広大無辺な福徳と智慧(ちえ)を蔵し、衆生(しゅじょう)の願いを成就させる虚空蔵大菩薩。お使いは鰻(うなぎ)で丑年、寅年生まれの人の守り本尊です。
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