世界的なフィギュアスケーター・羽生結弦さんをゲストにお迎えし、ふるさとを思いながら続けてきた挑戦や、仙台の魅力について郡市長と語り合っていただきました。
会場:仙台ロイヤルパークホテル
■支えられてかなえたオリンピック2連覇の夢
[市長]あけましておめでとうございます。羽生さんは4歳でフィギュアスケートと出会い、五輪2連覇、主要な国際大会を全て制覇するという偉業を成し遂げ、現在はプロのフィギュアスケーターとして活躍されています。お忙しい中、この市政だよりにご登場いただきありがとうございます。
[羽生]こちらこそ呼んでいただけて光栄です。僕はスポーツや表現の世界で活動をしていますが、まず仙台市民の1人として仙台で育ってきたので、まさか自分が市政だよりに載るようになるとは、という気持ちです。仙台でお世話になった方などに、ちょっとでも成長した姿を見せられたらうれしいですね。
[市長]羽生さんは小学生の頃からオリンピックの金メダルを目標にされていたそうですが、当時のことを覚えていらっしゃいますか。
[羽生]明確には覚えていないんですが、気が付いたら「オリンピックで金メダル取りたい。2連覇したい」って言ってたみたいですね。
[市長]そうは思っても、実際はなかなかそこに到達できないわけで。
[羽生]それは環境に恵まれていたことが大きかったです。支えてくれる家族がいて、先生やコーチがいてというのがなければ、僕がどんなにオリンピックで1位を取りたいと思っていたとしても、かなわなかったので。練習するアイスリンクに関しても、存続が難しい状況もありましたが、多くの方の支援があってスケートを続けることができたので、本当にありがたいことの連続でした。
[市長]周りのおかげとお考えなのですね。目標へ向かう道の途中、2011年3月に東日本大震災が起きました。多くの人々の心や人生に、さまざまな影響を与えた出来事でしたね。ただ、その厳しい状況の中、助け合いながら乗り越乗り越えていく力を身に付けることもできた、その一つが、羽生さんのソチ五輪での金メダルだったのではないかと思います。復興のさなか、どんなに励まされたかしれませんし、前を向く力をいただきました。
[羽生]震災に関しては、起こらなければよかったことだとは思っています。でも実際に起きてしまって、いろんなことを考えた結果、僕自身の金メダルにつながった。それが巡り巡って、つらい経験をされていた方や、仙台にとっての希望になっているんだとしたら、僕が感じてきた苦しみも間違いじゃなかったんだなって、ある程度肯定される気がします。
[市長]ソチ五輪後の祝賀パレードには、9万人を超える方がおいでになられた。そして4年後の平昌(ピョンチャン)五輪で2連覇を達成され、仙台市民のみならず、日本中が感動しました。平昌五輪後のパレードでは、私も出発地点でお見送りをして。
[羽生]あの日、風が強かったですよね、すっごく(笑)。
[市長]そうでしたね(笑)。あの時は約10万8千人の皆さんがおいでになられた。びっくりしたのが、大勢の方々がお集まりなのに、全然ごみが落ちていなくて。
[羽生]そういった方々に応援していただけることは、僕も誇りに感じています。
■北京五輪があったからこそたどり着いたいま
[市長]その平昌五輪の後に、競技を続ける決心をされたわけですよね。だけど、コロナ禍(か)やご自身のけがもあって北京五輪までの道のりは本当に大変だったと思います。そうしてたどり着いた北京で、4回転半ジャンプに挑戦されたことには深く感動いたしました。1日目のシ目のショートプログラムでは、(リンクの氷の溝にはまる)アクシデントにも見舞われましたが…。
[羽生]でも、先ほどの震災の話ではないですけど、あそこでアクシデントがなくて、金メダルを狙いにいっていたら、4回転半を跳ぶ必要はなかったのかもしれない。そのほかにもさまざまなことが積み重なって、北京五輪の演技につながったんだなとは強く感じます。
[市長]2日目のフリースケーティングの直後、インタビューで「報われない努力だったかもしれない」とお話しされていたのが印象的でした。でも、最後のエキシビションを終えてから、それもそれで幸せとおっしゃっていた。どういう心境の変化で、あのような言葉が出てきたのでしょうか。
[羽生]羽生さんも報われないと思うことがあるのか、みたいに思われたかもしれないですけど、実際、皆さんそういうことっていっぱいあるんですよね。私見で申し訳ないですけど、市長さんもそうなんじゃないのかなって。こうしたいのに、このためにいろいろやってきたのにってことはきっとあるんだろうなとニュースなどを見ても思います。でも応援している側は、頑張ってる姿だけですでに希望をもらっていたり、頑張れって応援できること自体が幸せだったりとか、そういう気持ちもきっとある。応援されている側は、できなかったかもしれないけど、応援してもらえること自体への感謝やうれしさがある。それが、あの時出てきた「幸せ」という言葉だったなと。
[市長]いま、私も励ましをいただいたと思います。応援してくださる方の存在を感じながら、ご自身の中で昇華されたことで、そのように思われたのでしょうね。そして北京五輪後の2022年7月、プロに転向されました。現在行っているツアーも含めてアイスショーを主催されていますが、複数人で滑るのではなく、なんとお一人で!これは相当すごいことだと思うのですが。
[羽生]ええ、びっくりです(笑)。そもそも平昌の後、プロとしてやっていこうと考えていたんですけど、北京までの道のりの中で、いろんな方とのつながりができて。そして競技人生の最後で、挑戦しながら負けるっていうところに行き着いたからこそ、表現できる世界みたいなものが増えた。もし平昌の後にそのままプロになっていたら、ワンマンでショーをやるということはなかっただろうとは思っています。
[市長]これまでの道のりの全てを糧にして、前人未踏の世界に挑戦され続けている姿に、本当に敬服いたします。
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