神社やお寺に参拝した際、建物に施された細部の彫刻まで目を凝らすと、込められた願いやその由来を感じ取ることができます。
若山牧水生家から南西に約1km、東郷町坪谷に所在する坪谷神社は天文初年、天満宮として建立されました。その後の火災で一切を焼失しましたが、日高蔵人丞によって再興されました。明治初期に坪谷神社と改称し、昭和に入ると、愛宕神社(戦国期の戦火に襲われた住民が火産霊命を祀った)、小牧神社の2社を合祀(ごうし)しました。祭神は菅原道真(学問の神)、火産霊命(火伏せの神)、高雷竜神(雨乞いの神)の3柱です。
坪谷神社本殿には、付された彫刻だけでなく組物や懸魚(げぎょ)にまで彩色が見られます。青を基調に、白や赤など様々な色を組み合わせて彩られ、水のような涼しさを感じさせてくれます。中でもひときわ目を引く彫刻は、荒れる波の上で緑に彩色された躰を捻る妻飾りの龍ではないでしょうか。龍は深淵に潜み、空を飛翔して雨を呼ぶと言われる霊獣で、中国から伝わり、室町時代末期頃から寺社仏閣(じしゃぶっかく)の彫刻として用いられ始めました。雨を呼ぶという龍の伝承は、雨乞いや火伏せへの祈りを体現していると言えるでしょう。
また、本殿蟇股(かえるまた)には色とりどりの雲の中に麒麟が施されています。かつて中国では鱗を持つ生物では龍が、獣類では麒麟が最高の存在でした。許慎(きょしん)の「説文解字(せつもんかいじ)」には、麒麟は仁徳を備え、肉はおろか植物も食せず、歩く時は虫や草でさえ踏みつけないと書かれています。徳を積んだ王の治世に姿を表し、殺生を好む王の治世には姿を隠したそうです。
かつて火災で焼失した坪谷神社、また戦火に襲われた坪谷の住民たちは、平穏への祈りを彫刻に託したのでしょう。
問い合わせ:教育総務課文化財係
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