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続・ひみ未来遺産「第28回 守り伝えられてきた戦争関連資料」

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富山県氷見市

◆〜能登半島地震に伴う文化財レスキュー(3)〜
令和6年8月15日、79年目の終戦の日を迎えます。昭和12年(1937)から始まった日中戦争、同16年(1941)から始まった太平洋戦争では、氷見市からも多くの人々が出征しました。記録によれば、氷見郡出身の戦死者の総数は2162人。実に5家族に1人、男子本籍人口の17人に1人が戦死したことになります。
元日の能登半島地震発生以来、博物館が実施してきた文化財レスキューでは、被災した家屋や土蔵からたくさんの文化財を搬出してきました。その中には、日中戦争や太平洋戦争にまつわる資料も多く含まれています。
写真はその一例です。氷見から出征した人が身に着けていた軍服や軍帽、鉄帽(ヘルメット)のほか、出征者の無事の帰還を祈って寄せ書きした日の丸、入営や出征に際して掲げられた出征幟のぼりなどがありました。いずれも出征した家族の記憶と結びつき、これまで大切に保管されてきたものです。
詳しく見ていくと、例えば出征幟は開戦前、近衛師団に入営した人のものは名前まで生地に染め抜かれている特注品であるのに対し、開戦後のものは名前の部分が白く抜かれ、そこに墨汁と筆で名前を書き込む既製品になっています。また、日の丸への寄せ書きに書き込まれた言葉の内容は、大戦末期になるほど激しいものに変わっているのが見て取れます。こうした資料を集めて観察することで、戦況が変化していった様子を知ることができるのです。これらレスキューした戦争関連資料は、今後、旧蔵者の方々に代わって、博物館が過去の戦争の記憶とともに保存し、活用していきたいと考えています。
現在、戦争関連資料以外にも、各家庭で大事に残されてきた貴重な文化財が、能登半島地震の影響で守り伝えていくことが困難な状況に置かれています。博物館は今後も文化財レスキューを続けていきますので、資料に心当たりがありましたら、どんな些細なことでも、ご相談ください。
(博物館主査 廣瀬 直樹)

問合せ:博物館
【電話】74-8231

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