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砺波市の神殿狛犬(しんでんこまいぬ)

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富山県砺波市

「あ」と口をを開く阿形(あぎょう)
「うん」と口閉じた吽形(うんぎょう)

■狛犬の歴史
日本では古墳時代には獅子の頭部が彫刻された太刀の柄の環が確認されています。その後、平安時代には舞楽で「獅子・狛犬の舞」が演じられたといわれています。奈良・平安時代のころは狛犬は宮中の唐にならった調度品としておかれました。平安時代に編集された宮中の儀式や調度品の解説書には獅子と狛犬の記載があり、獅子はライオンの原像のことを意味し、狛犬は大陸から伝来した珍しい犬という意味でした。その後、獅子と狛犬は宮中から神社や寺院に広がっていきました。

■神殿狛犬とは?
神社に行ってみると、鳥居をくぐった先には狛犬がよく見られます。そこにいる狛犬は「参道狛犬(さんどうこまいぬ)」と呼ばれます。狛犬というと屋外で向かい合っているものが思い浮かびますが、実は神社の神殿の中にも様々な材質で造られた狛犬が大切に安置されていることがあります。そのような狛犬を「神殿狛犬」といい、その歴史は参道狛犬よりも古く、全国的には平安時代から江戸時代にかけて造られたものが多いとされます。なかには文化財指定となっているものもあります。

■参道狛犬との違い
宮中から神社や寺院に広がった狛犬は本殿に置く神像の前に置かれました。それが神殿狛犬です。しかし、しだいに建物参道狛犬との違いの軒下に移り、形も大きくなりました。その後、境内に置かれるようになると、屋外のために石で造られるようになり、さらに形が大きくなりました。

■砺波市の神殿狛犬
神社の神殿などで大切に安置されている神殿狛犬は一般に見ることができる機会は限られています。
そこで市教育委員会では市内153社の神社を対象に調査をしたところ、22社から18対(阿形と吽形がそろったもの)と5体の神殿狛犬を確認しました。その素材は木造が8対と2体、石造7対と3体、陶製2対、銅造1対でした。特に木造の神殿狛犬は昭和以降の井波彫刻によって造られたものや、製作年がはっきりとはわからないが、様式や素材の状態から14〜15世紀にまでさかのぼりうるものもありました。

■市内の神殿狛犬いつ造られた?
砺波市では制作年がわかる神殿狛犬は、太田住吉神社の木造神殿狛犬が寛文三年(1663)の墨書銘をもち、在銘のものでは最古です。制作年のほかに仏師名と願主名の墨書も残っていることから貴重です。
ほかには台座に慶応2年(1866)の刻銘をもつ上和田熊野神社の石造神殿狛犬があり、太田住吉神社の木造神殿狛犬と並んで江戸期の数少ない狛犬です。石材は金屋石が使われています。
明治期では江波神社の石造神殿狛犬が明治24年(1891)の刻銘があります。使用された石材は不明ですが、福井県の笏谷石(しゃくだにいし)と思われます。狛犬は奥殿前に鎮座していますが、通常の阿吽形とは左右逆に配置されています。
東保五社神社の石造神殿狛犬の台座には明治44年(1911)の刻銘がありました。使用されている石材は笏谷石であり、「富山市石工桑原亀太郎」の刻字から入手した石材を富山で造像したことがわかります。
神殿狛犬が造られた時期は、これらの制作年のわかる在銘狛犬を基準として比較検討することで制作された年を推測できます。
砺波市の神殿狛犬は江戸期前半のものと江戸期末から明治期末のもの、さらに昭和初期から昭和後半のものと、3つの時期にまとめることができます。神殿狛犬に興味をもたれましたら、制作した「砺波市神殿狛犬調査報告」をご拝読ください。普段は目にすることはあまりありませんが、みなさんのお住まいの地域にも大切にされている神殿狛犬があるかもしれません。

■狛犬豆知識
非常に息が合うことを「阿吽の呼吸」といいます。阿吽とは梵語に由来し、狛犬のほかに寺院の仁王像なども同じように口を開けた表情と口を閉じた表情です。「阿」は字母の初韻であり口を開けて発声します。「吽」は終韻で口を閉じて発生します。2字で万物の初めと終わりを象徴することから、一切万有の原理を示すとされます。

報告書をよんでみてね♪

富山県でははじめて神殿狛犬にのみ焦点をあてて制作した調査報告書を無料でダウンロードすることができます。(デジタルアーカイブ「砺波正倉」)

※詳細は、本紙P.6~7をご覧ください。

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