■県内初の私設託児所創設者/堀田(ほった)くに(1888~1985)
くには大正・昭和の社会活動家です。伏木を代表する廻船問屋・鶴屋の7代堀田善右衛門の四女として誕生。くには自らの強い希望で石川県立金沢第一高等女学校(現石川県立金沢二水高校)へ進学し、卒業後は篤志(とくし)看護婦として日露戦争の傷病兵(しょうびょうへい)の看護に当たりました。1911年、くには野口勝文(のち伏木町長・県会議長)を婿に取り家を継ぎます(三男は芥川賞作家・堀田善衞(よしえ))。家業が傾く中で1918年に伏木町婦女会長となります。しかし、1925年、家は倒産してしまいます。
当時、伏木港には低賃金で働く大勢の女仲士(なかし)(荷役)がいましたが、くには、その子供たちの悲惨な状況を目の当たりにします。乳児が蔵の軒下や石炭などの荷物の上や間に置かれるなど子供の環境や栄養状態も悪く死亡率は高かったのです。くにはそのような環境でも働かざるを得ない女性と子供たちのため、婦女会員らと計らい1923年、伏木東一宮の念仏堂に間借りし無料の私設託児所を開設します。幼児は激増し、会員らは努力して資金を集め1926年、県の許可を得て念仏堂境内に20坪の園舎を建てました。1929年には第二託児所を開設。1933年には現伏木本町に新築移転しました(現伏木保育園)。くには91歳まで園長を務めました。(仁ヶ竹主幹)
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