■年末には何をする?
もうすぐ今年も終わり、新しい年がやってきます。年の瀬になると何かと忙しくなりますが、それは江戸時代も同じだったようです。
1年の締めくくりと同時に、正月の準備期間でもある年末には、やるべきことが目白押しでした。例えば、岩国領主が住む御館(おたて)では、例年12月27日ごろ、武士たちが早朝から出仕(しゅっし)して、たまったほこりや汚れを落とす煤(すす)払い(現在の大掃除)を行いました。もちろん、それぞれの家でも、年末に煤払いや障子の張替えなどを行い、1年の汚れを落としました。
また岩国のある村役人の日記には、毎年決まって12月24日から26日の間に餅つきを行っていたことが記されています。ただし、村役人の家で餅米と粟を混ぜてついた年もあれば、近隣の家と合同で用意した年もあるなど、餅の準備方法はさまざまでした。ついた餅は現在と同じく、鏡餅として供えたり、正月に食べたりしたとみられます。
年末の挨拶として現在も行われているお歳暮も、昔から続く慣習の一つです。岩国領主に関するものでは、家族間で干物や酒器を贈りあった記録や、家臣から贈られた銭貨などに対するお礼の手紙も残っています。忙しい正月が迫るお歳暮には、日持ちを気にしないものが好まれたようです。また現在のお歳暮は配送が主流ですが、江戸時代では直接持参したり、代理の使いを立てて挨拶に行かせたりしていました。
さらに江戸時代は年末に節分を迎えることもありました。節分は本来、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指しますが、太陰暦(旧暦)では、立春がちょうど1月1日前後にあたりました。そのため、古くは大晦日の夜に行われていた、豆をまいて鬼を払う追儺(ついな)という儀式と結びつき、節分の豆まきが年末年始の行事となりました。
このような多様な行事を、江戸時代の人々は自身の立場に応じてこなしていたようです。私たちも大掃除で1年の汚れを落として、晴れやかな気持ちで新年を迎えたいですね。
※太陰暦(旧暦)…太陰暦は、月が新月から次の新月になるまでの期間を1カ月とする暦法。明治6年(1873)に、地球が太陽の周りを一周する期間を1年とする現在の太陽暦に改められたため、日本では太陰暦を旧暦、太陽暦を新暦とも呼ぶ。
▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)年末年始(12月29日~1月3日)
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