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ふるさと歴史アラカルト

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山口県岩国市

■岩国徴古館の土地の歴史を深掘り

岩国徴古館は、現在の場所(横山二丁目)に竣工して今年で80年目を迎えます。岩国徴古館の敷地は、それ以前にはどんな用途で使われていたのでしょうか。今回はこの土地使用の変遷をたどります。
江戸時代の初め頃、この土地には杉岡正兼(まさかね)という武士の屋敷が建っていました。杉岡は二代岩国領主・吉川広正(きっかわひろまさ)の側近として重用された人物です。ところが、理由は定かではありませんが、寛永7(1630)年に処刑された記録が残っています。この屋敷地は主人が不在となったことから、岩国領に没収されることになります。
続いて寛文12(1672)年にこの土地には、岩国領の会計役所にあたる勘場(かんば)が移設されます。勘場は元禄2(1689)年に御蔵元(おくらもと)と改称し、明治時代初めまでの長きにわたり、岩国領内の会計や行政的な事項を処理する中心的な役所として機能を果たしました。
明治時代以後、この土地は岩国の教育・文化の中心として使用されることになります。明治18(1885)年から旧制山口中学校岩国分校、明治30年からは旧制玖珂郡立実業補習女学校(ともに現在の岩国高等学校)の学校用地として使用され、多くの生徒がこの地で勉学に励みました。
大正3(1914)年に学校用地としての使用が終わると、この土地使用に関する記録はしばらく確認できなくなります。その後、昭和15(1940)年に吉川報效会(きっかわほうこうかい)の決議により、この土地に博物館を建設することが決まります。昭和17年に建設工事が始まり、昭和20年3月に竣工し、岩国徴古館が誕生しました。それから現在まで、岩国徴古館は岩国の歴史・文化を解明し、その内容を広く普及することに努めています。
岩国徴古館の土地の歴史をたどると、行政・教育・文化といったさまざまな用途で使用されてきたことがわかります。今後、この土地が岩国徴古館と共にどのような歴史を紡いでいくのか、ご期待ください。

※5月6日(休)まで企画展「岩国徴古館の今までとこれから」を開催中です。

▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)

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