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ふるさと歴史アラカルト

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山口県岩国市

■「日本の電気の父」藤岡市助と彼を支えた男・三吉正一

藤岡市助は、明治時代の日本において、国内初の電車運転、白熱電球の国産化、エレベーターの設置などを行い、「日本の電気の父」、「日本のエジソン」と呼ばれています。日本の電気事業の基礎を確立した藤岡の功績が大きいことはもちろんですが、中国地方で最初の電車を岩国に走らせるなど、郷土の発展にも尽くしました。市内においては、藤岡の銅像(※1)が立ち、岩国学校教育資料館(※2)に記念コーナーが設置されるなど、その功績が称えられています。
また藤岡は、株式会社東芝の創設者の一人にあたり、知らないうちに電化製品などの身近なモノを介して、つながっている人も多いかもしれません。
東芝は、藤岡の創設した東京電気(株)と田中久重(たなかひさしげ)の創設した(株)芝浦製作所とが昭和14(1939)年に合併してできた会社ですが、東京電気の前身の白熱舎は、藤岡と三吉正一(みよししょういち)という人物によって創設された会社です。
三吉は嘉永6(1853)年、錦見(現在の岩国)に生まれました。明治維新後、上京して群馬県の富岡製糸場の伝習生となり、その後、電信修技学校で技術を学びました。明治10(1877)年から工部省で技術者として働き、同年の内国勧業博覧会に足踏製糸機械を出展して表彰を受けています。
明治16年、三吉電気機械工場(後に三吉電気工場へ改称)を設立しました。この工場では同郷の若者を世話して工場で雇い、熱心な若者には電気の研究だけでなく、英語や数学などを学ぶ機会も与えました。そのため三吉の工場は、重宗芳水(しげむねほうすい)(明電舎創業者)を始め、後に電気関連の分野で活躍する人物を多く輩出しています。明治23年に三吉と藤岡が白熱舎を創設した際には、三吉が社長を務めました。
三吉は、藤岡の設計した発電機を苦心して製作するなど、藤岡の電気事業を製作の立場で支えていました。また同時に、藤岡の結婚の仲人を務めた友人でもありました。先人の偉業の影には、三吉のような人物の支えがあることも忘れてはならないと思います。

※1:横山二丁目
※2:岩国三丁目

・マンガふるさとの偉人『日本の電気の父藤岡市助ものがたり』は、市内の図書館(電子図書館を含む)で読むことができるほか、岩国徴古館・岩国学校教育資料館で購入(一部五百円)できます。

▽岩国徴古館(いわくにちょうこかん)
昭和20年に旧岩国藩主吉川家によって建てられ、その後岩国市に移管された市立の博物館
住所:横山二丁目7-19
【電話】41-0452
休館日:月曜(祝日の場合はその翌日)

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