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〔郷土史コラム〕やないの先人たちの知恵と汗-中世編

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山口県柳井市

■柳井における神道(1)
市教育委員会 社会教育指導員 松島幸夫
前回まで中世の柳井における巨大寺院を見てきましたが、日本で誕生した神道についてもその一端をのぞいてみましょう。
温暖湿潤の恵まれた自然環境に暮らす日本の原始人は、自然に対して深い感謝の念を持ちました。天空からの、大地からの、海からの恩恵を神の意思と考えました。あらゆる自然現象に感謝しましたから、多種多様な神を存在させました。八百万(やおよろず)の神の中でも、特に稲作に恩恵をもたらす太陽の神を厚く崇拝しました。伊陸の氷室(ひむろ)ヶ嶽の山頂で太陽神に祈りを捧げた形態が自然崇拝神道の典型です。氷室ヶ嶽の西側の小嶽には八大龍王(はちだいりゅうおう)を祀(まつ)って、日照りの際に降雨を神に祈りました。江戸時代前期の氷室神社の社殿の棟札(むなふだ)には「氷室」との表現でなく「日村」と記してあることから、太陽神の恩恵が伊陸村に降り注いで、豊作をもたらしたことを感謝する神社だったことが分かります。ヒムラがヒムロに訛(なま)り、日村が氷室の表記に変わったのです。時代とともに漢字表記が変化する事例は、歴史を紐解けば枚挙にいとまがありません。氷室神社の主祭神(しゅさいじん)は、富士山本宮浅間大社(ほんぐうせんげんたいしゃ)と同様に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)です。この女神は「古事記」の記述によれば、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から稲穂を預けられて日本にもたらした邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚した女神です。日本で最初に稲穂を受け取った女神です。つまり稲作の神様です。なお、木花咲耶姫命は燃える産屋(うぶや)の中でも無事に子供を生みましたから、安産の神としても御利益があると言われています。
ところで、氷室神社はもともと氷室ヶ嶽の頂上付近にありました。その神社を室町時代初頭に麓の宮原大元に降ろし、戦国時代に現在地に遷(うつ)し、明治時代に亀山八幡宮と合併して氷室亀山神社になり、現在に至っています。

問い合わせ:文化財室(サンビームやない内)
【電話】22-0111

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