■柳井における神道(2)
市教育委員会 社会教育指導員 松島幸夫
前回は太陽神を崇拝する原始神道について考察しました。今回は八幡宮について見てみましょう。
各地に存在する八幡信仰の元祖は大分県の宇佐八幡宮です。宇佐は大陸に近いため、日本古来の自然崇拝に加えて、朝鮮半島の近衛兵精神の影響を受けて戦勝祈願の性格を持つようになりました。そして武士の統領である源氏が八幡宮を氏神としたため、全国の武士が八幡宮を創建し、また地域の守り神である産土神(うぶすなかみ)を奉(たてまつ)った神社を八幡宮へ変質させました。
現在も柳井市内にはいくつかの八幡宮が存在しますが、いずれも武士の寄進によって社殿が建立されました。例えば日積の大帯媛(姫)(おおたらしひめ)八幡宮は、旧来は日積大元宮と称する産土神社でしたが、大内氏が合戦によって権勢を拡大する時期に八幡宮に変わりました。日積村の代官職に任じられた、戦(いくさ)上手の杉氏などの奉献によって社殿が建てられました。その日積八幡宮は江戸時代に大帯媛八幡宮と改名され、現在に至っています。なお、大帯媛とは「日本書紀」に登場する神功(じんぐう)皇后の別名で、大軍を率いて海外遠征をした武勇に秀でた皇后でした。
柳井市街地の東端にある宮本の代田八幡宮も同様の経緯をたどっています。初めは山中の黒杭の産土神社であったものが宮本に遷(うつ)り、やがて地侍の楊井(やない)氏によって八幡宮になりました。杉氏も楊井氏も永正5(1508)年に柳井津から大内軍の船団に合流して京都に上り、戦闘に加わって活躍しています。
現在の日本では、すべての八幡宮で万民の多幸を祈るため、五穀豊穣や病魔退散、家内安全などの祈願がなされています。
問い合わせ:文化財室(サンビームやない内)
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