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山形県 山形市

【令和5年度親子記者事業 東北ブロック代表】
土橋怜生(つちはしれい)さん

◆「偶然が重なって生かされた命」を大切にしたい

山形市は、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向けて活動する日本非核宣言自治体協議会に加盟しています。今回は、同協議会が次世代の平和の担い手育成を目的に実施している「親子記者事業」に、昨年度東北ブロック代表として参加した土橋さんから、長崎での取材を通して感じた平和に対する思いを聞きました。「親子記者事業」は、長崎へ親子を招待し、被爆者や平和に関する施設を取材して「おやこ新聞」を作成する取り組みです。

土橋さんは、被爆4世。父明晃さんの祖母が長崎市で被爆しています。
長崎市を訪れた際に、長崎原爆資料館を見学したり、被爆遺構を見たりしたことで原爆の悲惨さを実感し、原爆について関心を持ったという土橋さん。戦争被害の少なかった山形市にいると過去に日本で起きた戦争について触れる機会はほとんどありませんでした。原爆投下から78年が経ち、被爆者が高齢化している中で被爆当時のことを直接聞くことができる機会は最後かもしれない、との思いで参加したといいます。
「原爆落下中心地では、約3千度の熱や放射線によって、一瞬にして多くの尊い命とそこでの人々の暮らしが奪われてしまいました。現在は慰霊碑が建っていますが、被爆した一人一人に夢や希望があり、直前までは普通の生活があったことを思うと胸が締め付けられました」
取材で特に印象に残っているのが被爆者の「自分はたまたま助かった。偶然が重なって生かされた」という言葉だそうです。
「もし、原爆落下地があと数百メートル違っていたら、曽祖母は亡くなっていて僕は生まれてなかったかもしれない。この『偶然が重なって生かされた命』を大切にしていきたいと強く思いました」
こう語った土橋さんは、取材を通して感じたことを学校でクラスのみんなに伝えています。
「『全然知らない』と『少し知っている』は違う。教科書に載っている内容を覚えるだけでなく、少しでも関心をもって原爆について考えてほしい。そのために、これからも周りの友達に原爆の話を伝えていきたいです」
と次世代の平和の担い手としての意気込みを話してくれました。

土橋さんが作成した「おやこ新聞」は日本非核宣言自治体協議会ホームページをご覧ください。
広報やまがた7月15日号では、平和に関する特集を掲載します。併せてご覧ください。

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