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中山町歴史散策 第207話俳額(5)

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山形県中山町

幕末の俳諧中山の俳諧は、松田未覚、青木定章らの元禄期前後の隆盛期を経ると、華々しい活動は残されていませんが、先に挙げた「俳諧歌枕」や「俳諧発句」など、獅子門指南書の入手に見るように、静かな就成期を待っていました。
時代は、文化文政期に入ります。この時期台頭した俳人としては、村山郡の俳諧再興のきっかけとなった吉川村(現西川町吉川)の五代目工藤三九郎俳号稲州(寅吉)で、彼が生まれたのは天明7年(1787年)のことです。
また、享和2年(1802年)には15代服部文右衛門が文新田に生まれました。この人は、俳号・画号ともに「武陵」と称した多彩な文人でありました。また、柳沢の画人西塔太原(俳号琴岱)は文化14年(1817年)、稲州の句帖流行に画を描き入れ、挿絵を持つ句帖の流行に先鞭をつけています。
このように、元禄期以降の律儀な句作態度から、幕末には多分に娯楽性、あそびの精神が横溢(おういつ)した句会の風習が育ち始めていました。
もうひとつ、この期の句作の特徴に、神社仏閣に俳額を奉納するという風習が生まれています。これは、神鎮めとともに句作の向上を願い参詣者に自らの句を披露できるという晴れがましさも加わって、豪農、豪商、郷村の有力者に限らず、すぐれた作品を掲げる力量を誇示する目的があったようです。
文政11年(1828年)、大井沢獅子口神社に、長崎、吉川の俳人を中心に、全国の著名俳人の句を集め、58句30人の俳額が奉納されています。

■用語の説明
先鞭をつける:他に先んじて着手すること。他の人より先に始めること。
横溢する:水がみなぎりあふれること。また、気力などがあふれるほど盛んなこと。

※引用
中山町史中巻第10章第3節文芸と美術工芸

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