◆INTERVIEWEE
蛯原紘子さん(小国町)
女性狩猟者について考える
大日本猟友会のデータでは、狩猟者は年々減っており、5年後には全国で10万人以下になることが予想されています。しかしその中でも、女性の狩猟者は右肩上がりに増加しています。現在は小国町役場に勤めている蛯原紘子さんは、東北芸術工科大学大学院のときに狩猟免許を取得し、マタギと呼ばれる方々に交じって山を駆け、狩猟者の一人として奮闘しています。今回取材に応じてくださり、お話を伺うことができました。
東北芸術工科大学の学部生だった時は日本画コースを専攻し、元々動物が好きで、動物の絵をよく描いていました。そこからさらに野生動物を知るため、狩猟文化研究の第一人者である田口洋美教授の研究室に出入りするようになりました。小国町に通うようになり、気づけば3年もの間通い続けていました。狩猟免許は大学院生の時に取得しました。小国町のマタギたちの間では「女は山に入ってはいけない」というルールが強く根付いていて、最初から山に入ることは許されず、登山道から様子を伺ったりしていました。同行した班でクマが捕れなければ「女がいるから捕れなかったんだ」と言われるので、悔しい思いをしたこともあります。しかし自分は運がよく、何度もクマを捕る現場に居合わせることができたため「あいつならいいんじゃないか」と認めてもらい、現在に至ります。
女性狩猟者が増えていることに対しては、良いとも悪いとも思っていません。小国町のように山の神様への儀礼を大切にする地域もあれば、そうでない地域もあり、その女性狩猟者を取り巻く環境はそれぞれ違うと考えるからです。しかし興味を持って入ってきてくれることは嬉しいです。狩猟は男性のほうがやはり体力面でも有利です。しかし狩猟を一緒にするからには「女性だから」と弱音を吐くことは許されません。私自身は、山の神様に嫌われないよう「ひとりの人間として」参加していると認識しています。マタギの方々との狩猟で、山の神様への畏敬、尊敬の気持ちを学びました。行う儀礼の一つ一つに意味があり、山の恵みへの感謝を表しています。こうした行動を見つめるうちに、「生命の扱い方」についても学びました。自分たちが仕留める動物に対するリスペクトです。彼らは肉となり、私たちを生かしてくれています。苦しませずにとどめを刺すのも、彼らのことをを重んじているからです。
以前、ある方から、クマが眠る穴に発煙筒を投げ入れ、驚いて出てきたところを仕留める、という話を聞きとても驚きました。そうした猟法があるのかもしれませんが、私たちは絶対にしません。発煙筒など人工の匂いが付着してしまうとその穴はクマが二度と使うことができなくなります。この行為はクマに対しても失礼でリスペクトに欠いています。
「肉」に対する考え方は狩猟を始めてから明確なものになっていきました。スーパーに並ぶきれいすぎる肉からは、もとの動物へ思いを馳せることは難しいでしょう。子供が生まれて母になっても、野生動物、狩猟への考え方、向き合い方は変わりません。子育てがひと段落したら、また山に行きたいなと思います。
◆野生動物とわたしたちとの軋あつれき轢を無くすには
昨今、住宅地でのクマの目撃件数が増え、メディアを騒がせています。そこでよく目にするのは「人慣れしたクマ・シカ」などの言葉です。この言葉には「クマのほうが変わってきた」という印象を受けますが、実際に変わったのは人間側の生活様式、行動範囲です。野生の動物はそれに適応して、人が手を加えなくなった里山や町に食料を求めて行動範囲を広げています。
個体数が増えれば山の中で餌場の取り合い、縄張り争いが起こり、それに負けた個体は里に下りるほか選択肢がなくなります。少しの量でカロリーを摂取できる人間の食べ物を口にしてしまえば、もう里から動くことはできなくなります。何もしてこない人間を警戒しなくなり、それが行動範囲を重複させ、人と野生動物との間に軋轢を生む原因となっています。
行政・猟友会・住民一丸となりこの問題に取り組む必要があります。人の近くは危険だということを学習させる、そもそも近くに来させないような工夫をすることが必要です。山で狩猟を行う、定期的な駆除を行うなど人の気配を感じさせることも有効です。
大蔵村では狩猟免許や銃の所持に関連する経費の補助金を利用することができます。農作物を守りたい、ジビエに興味がある、そんな方は狩猟を行うことも視野に入れてみてはどうでしょうか。それが結果的にわたしたちと動物との軋あつれき轢を無くすためになるのだと考えます。
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