写真は、これまでの広報あさひまちに掲載された写真です。(本紙参照)
70年の歴史を刻む中で、施設や道路・橋の建設、さまざまなイベントの開催が町を彩りました。
町公式ホームページにはこれまでの歩みを振り返る年表などを掲載しています。ぜひご覧ください。
■式辞
戦後の混乱を乗り越え、国民生活も落ち着きを取り戻しつつあった昭和29年11月1日、宮宿町、西五百川村、大谷村の一町二村の合併により、朝日町は誕生いたしました。
当時の「広報あさひまち第一号」は、「朝日川の清流と最上川流域に沿う一町二村は、時代の推移と民主政治のもと地方自治の確立を期し、強力なる行財政を持つ、清新な構想と文化に富んだ新町の建設を目指し、11月1日、高らかに前途の祝福を奏でつつ、その名も朝日町として発足した」と報じております。
来る新時代に夢と希望を重ね、意気込みを大いに語り明かしたに違いありません。
以来、この70年という長い年月の中で、先人の皆様のたゆまざるご努力により、豊かな自然と文化を脈々と受け継ぎながら、朝日町は着実な発展を遂げてまいりました。
高度成長期には、朝日町のリンゴが当時の東京神田市場において「品質日本一」の評価をいただき、無袋ふじ発祥の地としてその名声を不動のものといたしました。
また、Asahi自然観の建設により、交流人口は飛躍的に増大し、雇用の確保など当町経済発展に大きく寄与したのであります。一方で、町内全集落にくまなく自治公民館が整備され、生涯学習による人づくり・地域づくりが提唱実践され今日に至っております。
朝日町の歴史は、これまでチャレンジの連続でした。小さな町が、リンゴの海外輸出という世界に向けた大きな挑戦をしたり、世界で唯一の空気神社を建立したり、あっと驚くようなチャレンジを続けてきた結果、今日があるのです。私たちは常にチャレンジを続け成長していかなければなりません。
この70年の歩みを支えていただいた町民の皆様に、改めて深甚なる感謝の意と敬意を表します。
しかし、町を取り巻く環境は、近年、少子高齢化の進行と人口減少、これに伴う集落機能の衰退や地球温暖化による自然災害の多発、長期間に及んだコロナ禍、さらにはウクライナ・パレスチナでの戦争などによる物価高騰など、地球規模で大きな情勢の変化が生じており厳しい状況が続いております。
こうした中で、このような現実に目を背けることなく、さまざまな問題を直視し、町民一人ひとりがまちの将来像を共有し、勇気を持って正々堂々、着実に歩みを進めることが私たち行政の使命であります。
第6次朝日町総合発展計画では、私たちが目指す将来のまちの姿を、「チャレンジ・つながり・希望~町民が活躍し笑顔あふれるまち~」と掲げ、「チャンスがあるからチャレンジするのではない。チャレンジするからチャンスは訪れてくる」この信条のもと、新たな芽を育み、誰もが夢と希望を抱き、やりたいことに挑戦し活き活きと活躍することができる町を目指しているところであります。
ふるさとは心の支えであり、人々の笑顔は心の宝であります。その大好きなふるさと「朝日町」を、次世代に生きる子や孫たちに、私たちは自信と誇りを持って伝えていかなければなりません。
町民一人ひとりがまちづくりに関わり、知恵を出し、汗を流したとき、わが子を思う親のように、町を愛し、ふるさとを愛する気持ちになります。その後ろ姿を見て育つ子どもたちも、必ずまちを思い、ふるさとを愛する大人になるのではないでしょうか。
どうか、町民の皆様には、自立した朝日町をしっかりと築くため、一層のご支援とご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
朝日町長 鈴木浩幸
■節目を祝い、町のさらなる飛躍を誓う
朝日町が誕生してから70年を迎えた11月1日、創遊館ホールでは町内外から約200人の来賓を迎え、記念式典が執り行われました。
オープニングでは町内4学校による合唱や和太鼓の演奏などが行われ、式典に花を添えました。
また、式典では町の振興発展に貢献された方々への表彰が行われました。
・大谷小学校(全校生)
合唱 BELIEVE
・宮宿小学校(5年生)
和太鼓演奏 豊年太鼓
・朝日中学校(2・3年生)
和太鼓演奏 神明こぶし太鼓
・西五百川小学校(全校生)
群読 よかったなぁ
合唱 チャレンジ
■ともに歩んだ70年
朝日町と同じ、昭和29年11月1日に生まれた清野庄治さん(平)にこれまでの歩みを振り返っていただきました。
「あなたが生まれた日は、町の誕生を祝う盛大な行列があったんだ」という話を、家族や親戚からよく聞かされたものです。
これまでの人生は、仕事に追われ忙しい日々が続いたように感じます。その中でも、娘や孫が生まれとても感動したこと、昭和56年の冬に大量の雪で埋もれたリンゴの木を掘り起こす作業があまりにも大変だったことは強く記憶に残っています。
これからも、悔いのないように生活できるよう心掛け、体が動くうちは農業を続けていきたいです。朝日町も、いつまでもリンゴが有名な町であり続けてほしいと思います。
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