■国籍に関係なく誰もが学べる社会にしたくて
外国ルーツの子に日本語と教科を教える
澤登一浩
全国的に教員が足りない。
そんな中で、65歳を過ぎてなお教壇に立つ教師がいる。
未来に向け懸命に生きる県民を紹介する、連載・山梨懸人の2回目は、その男性のストーリー。
彼が外国籍の子どもたちに日本語と教科を教える背景を探ると、山梨のミライが見えてくる。
◇“きれいな鏡”に映る自分の姿を見つめて
南アルプス市立落合小学校の教室で、澤登一浩さん(66)はペルー人の小4児童とクロスワードパズルをしていた。
「そうめんより太くて、うどんより細い麺は?」
「え、知らない……」
「パソコンで調べてみようか」
(カチカチとパソコン操作をする音)
「ひ、や、む、ぎ?」
「そう、正解!」
長年小学校の教諭だった澤登さんは、南アルプス市内の外国籍児童15人に日本語を教えている。落合小だけでなく市内6校を巡回して授業をする。同市内の外国人向け日本語教育は教員2人でカバーしているため、澤登さんの時間割に空き時間はほとんどない。
「外国籍の子どもは、紙ベースの教材ではふりがながないので学びが進みにくいんです。だから教えるときはパソコンも使います。授業を通じて、勉強のスタイルを教えたいと思っています」
現役時代、過疎地域の早川町で働いた。教頭として赴任した早川北小の総児童数は11人。数年で4人程度に減ると予想されていた。
この学校は、半世紀にわたって子どもたちが地域の民話を創作劇として上演し続けていた。地域と一体化した教育活動の価値を感じて、「この小学校をなくしてはいけない」と思った。地域の良さを知らせるチラシを作り、保護者や教育委員会と東京で開かれる地域振興関連の展示会で配ったこともあった。早川北小の児童数は予想に反し、最後には18人にまで増えた。東京からの移住者が増えたことが原因だった。
「昔から、教科書を忠実に教えるより、郷土にゆかりあるものを教材にするのが好きでした」
2019年に定年を迎え、地元で地域の仕事をするようになった。そんな矢先、先輩に「学校現場は人手不足だ。君は家に畑もないんだから、もう一度学校で教えたらどうか?」と言われ、なぜかすんなり教壇に戻ることにした。
翌20年から、フルタイムの再任用教員になった。久しぶりの学校現場は、保護者への対応、授業や行事の準備など、相変わらず大忙しだった。再任用教員だから重責を担うことはないと思っていたが、産休の教員の代わりに2年生の担任をし、校長や教頭を補佐する教務主任も務めた。言われたときは戸惑ったが、自分の経験や知識が役立てばいいと思い、引き受けた。
「教師はみんな、“きれいな鏡”を持った子どもたちの前に立ちます。私たちは、その鏡に映る自分の姿を見つめ、常に自分を律することができる。退職後に復帰して、その思いが一層強くなりました」
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