峡中八珍果 HAWAII SEATTLE VANCOUVER SANFRANCISCO SHANGHAI VLADIVOSTOK
上高砂の清水家に残された昭和初期の一枚の古写真。そこにはかつて木箱に詰められ世界に輸出された枯露柿が写されています。今月は柿の可能性を探る物語です。
柿の原産地は中国と言われ、日本では奈良時代以降さまざまな文献に登場し、平安時代の『延喜式』には干し柿が見られます(※1)。市内では野牛島・西ノ久保遺跡の平安時代の住居跡からカキノキ属の種子が発見されています。
江戸時代、柿は葡萄、桃、梨、栗、林檎、柘榴(ザクロ)、胡桃とともに「峡中八珍果」に選ばれ、さらに原七郷の特産物として取り上げられています。渋柿は籠に背負われて甲府盆地に野売りされ、換金作物として原七郷のくらしを支えていました。
幕末になると海外への輸出が始まり、明治以降も試行錯誤が繰り返されました。明治44年度山梨県立農事試験場の業務年報によれば、前年度から柿輸出試験が行われています。生柿では百目柿と甲州御所、樽柿として衣紋柿(えもんがき)を上海に、乾柿では作り方が異なる百目柿白製、蜂屋柿白製、百目柿紅製を上海やウラジオストック、サンフランシスコ、バンクーバーへ送り出しました。
模索し続けた柿の輸出も、昭和に入ると軌道に乗り、本格化します。写真は、高砂枯露柿出荷組合作業所前での写真で、木箱には「DRIED PERSIMMONS」(枯露柿)の文字とともに出荷先が焼き印されています。一方日本で初めて柿の火力乾燥法に成功した西野の手塚家では、昭和10年に三井物産KKを通して、アメリカ本土とハワイに枯露柿を輸出していました「korogaki」と記されたその当時のラベルが今も使われています。
太平洋戦争中に途絶えた海外輸出は、戦後西野で再び始められました。昭和21年にハワイの日系人から要望され、クリスマスケーキのデコレーション用として輸出された記録が残されています。
柿は果樹の中で最も種類が多いものとされ、農商務省農事試験場が明治44年までに全国から収集し、品質試験をしたものだけでも三千種に達したといいます。日本の人々は長い年月をかけてさまざまな種を生み出し、さらに加工技術を磨いて柿と向き合ってきました。日本語の「かき」は、フランス語とドイツ語でも「kaki」、スペイン語とポルトガル語でも「caqui」、イタリア語でも「cachi」と呼びます。これはヨーロッパやアメリカには日本と同じ柿が存在せず、戦国時代にポルトガル人が母国へ日本の柿を持ち込んだことから「かき」が外来語として定着したのだと考えられています。
こうした柿の多様性は、今後世界と南アルプス市をつなぐ大きな可能性を秘めているのかもしれません。
※1 『延喜式』(927)には「柿五百株」、「干柿子二連」、「柿子六連」などの文字が見られます。
※2 柿 kaki caqui cachi~世界と日本をつなぐ果実~(ふるさとメール2018年11月号)を参照。
▽「御勅使川扇状地の古代牧を考える」を開催します
平安時代御勅使川扇状地に存在した牛馬を飼育した「牧」。
これまでの発掘調査や文献資料に基づく牧の最新研究をわかりやすくご紹介します。
主催・共催:山梨郷土研究会・南アルプス市教育委員会
日時:12月2日(土)9時15分~12時30分
会場:南アルプス市若草生涯学習センターわかくさホール
資料代:山梨郷土研究会会員と南アルプス市民500円、一般参加者1,000円
募集定員:80人
申込方法:山梨郷土研究会事務局(数野・荒川)まで、メールまたは電話でお申し込みください。
【メール】sanbun.kyodo@gmail.com
【電話】055-263-6441
申込期間:11月1日(水)~24日(金)
※電話の場合9時~17時までの間にお申込みください。
文 文化財課/写真 個人・文化財課
※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。
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