■市内にひろがる条里地割(じょうりちわり)
南アルプス市域を上空から眺めてみると、若草地区の加賀美、藤田周辺、甲西地区の鮎沢、大師、清水、古市場周辺の土地区画が碁盤の目状になっていることに気が付きます。
実際に測ってみると、このような地割は、昔の単位でいうところの一町、現在の単位に直せばおよそ一〇九mの間隔で区画されていて、一般的に条里地割と呼ばれています。条里地割は、いまも全国各地に残されていますが、南アルプス市の条里地割は、地形的には滝沢川がつくった扇状地の上に残されていて、真北から約六度東に傾いた軸で作られています。
このエリアには、北から迫る御勅使川扇状地の伏流水が湧き出していて、その豊かな水資源に支えられ、はるか二千年以上前(弥生時代)からの水田の営みが連綿と、かつ濃密に認められることが発掘調査の成果から分かっています。条里地割は、このような地形の上に施工された、かつての農業基盤整備(ほ場整備)の痕跡なのです。
南アルプス市の条里地割がいつ作られたのかについては、必ずしも明確ではありませんが、発掘調査の結果、少なくとも平安時代(今から約千年前)頃までは遡ることができそうで、鎌倉時代には確実にあったことがわかっています。条里地割のある集落の中では見通しの悪い交差点が続くこととなり、ともすれば危険なこのような街角ですが、実は昔の人々が自然と対峙して切り拓いた労力の結晶だったのです。
この碁盤の目の中心には、平安時代末期から鎌倉時代にかけてこの地を治めた甲斐源氏、加賀美遠光の館跡と伝えられる加賀美の法善寺があり、遠光を支えた経済的基盤のひとつがこの条里地割にあったことがうかがえます。
また、この真北から東に約六度傾く条里地割は、釜無川を隔てた対岸のJR東花輪駅周辺(中央市)にも見られることから、かつては釜無川がもっと東を流れており、両岸が地続きだったことがわかります。
なお、若草南小学校周辺や南湖小学校周辺も水田の土地区画が碁盤の目状になっていますが、これは条里地割ではなく、戦後、地域の人々の手によって、新たに行われた耕地整理(土地改良事業)の結果です。当時を知る人によれば、そのほとんどが地域住民の手による人力の施工だったそうです。
いつの世も、生きる糧となる農業の基盤整備は、人々の関心事だったことでしょう。現在残る土地区画から、そんな先人の苦労を垣間見ることができます。
文/写真 文化財課
◆〈告知です〉甲府盆地西部の条理地割をめぐる
南アルプス市に残る条里地割と文化財を探索しよう!(バスと徒歩で巡るツアーです)
日時:令和6年11月16日 午前9:00~12:30
集合場所:甲西窓口サービスセンター(鮎沢1212)
申込み:必要(定員35人)/参加料 500円
問合せ・申込み:教育委員会文化財課
【電話】055-282-7269
※詳しくは市のホームページ等をご覧ください。
※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。
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