■33年に一度の春、めぐり会う 八田山長谷寺十一面観音立像(はったさんちょうこくじじゅういちめんかんのんりゅうぞう)
▽長谷寺文化財解説現地講座(約30分)
・3/16(土)10:00 長谷寺本堂修復の物語
・3/17(日)10:30 十一面観音像の魅力/14:00 本堂建築の魅力
・3/18(月)13:10
長谷寺、馬と水の信仰詳細は広報3月号に掲載します
八田山長谷寺本堂(観音堂)内。ほら貝の重厚な音が響いた後の一瞬の静寂。「大般若波羅蜜多経巻第一巻。唐の三蔵法師玄奘、奉請訳ー(※1)」と導師が大きな声で唱えると、中央の護摩壇(ごまだん)両側に座っている各3人の僧侶もお経を一巻づつ手に取り、両手で広げながら巻名だけを変えて同じ言葉を唱えます。大般若経六百巻の転読(※2)が始まりました。堂内に幾重にも重なり共鳴する僧侶の声。中央の護摩壇(ごまだん)には護摩木がくべられ、緋色の炎が燃え上がり、爆ぜた火花と白煙が天井に向かって立ち昇ります。まもなく堂内は護摩木と香油の香りに包まれました。毎年3月18日、家内・交通安全や健康、学業成就などさまざまな祈りが捧げられる初午祭(※3)「お観音さん」です。旧暦では2月18日に行われていました。
長谷寺は奈良時代、僧行基(ぎょうき)の開創と伝えられる古いお寺で、本尊木造十一面観音立像は平安時代11世紀終わり頃の作とされています。市内で最も古い仏像の一つで、山梨県の有形文化財に指定されています。岩を模した台座にまっすぐに立つその姿から、霊力のある一本の木から仏を彫り出す立木仏(たちきぶつ)信仰が影響していると考えられています。
長谷寺の十一面観音は、豊作や健康祈願とともに馬を病から守り、乾燥した御勅使川扇状地の村々に雨をもたらしてくれる原七郷(※4)の守り仏として広く地域の信仰を集めていました。かつて「お観音さん」では、綺麗な衣装で飾られた馬を引いた近隣の信徒が大勢集まり、鐘撞堂を7回廻って、その健康を祈願したことが記録に残されています。また、夏には雨乞いの祈祷や儀式も盛んに行われていました。
実はこのご本尊さま、通常は本堂中央の厨子の中に安置されており、その扉が開くのは33年に一度しかありません。前回のご開帳は一九九一年で、二〇二四年の今年がその年にあたり、3月16〜18日にご開帳が予定されています(※5)。
また、本堂は大永四年(一五二四)と墨書された板材の発見から、その年の再建とされており、室町時代の建築様式を残す貴重な建造物として国の重要文化財に指定されています。ちょうど今年は本堂再建五百年を数える節目の年にも当たるのです。
十一面観音像が祀られてから約千年、本堂再建から五百年を経た二〇二四年。まためぐりあうことができる特別なこの日この時がやってきます。
※1 大般若波羅蜜多経巻(だいはんにゃはらみったきょうかん)第1巻を唐の三蔵法師玄奘(さんぞうほうしげんじょう)が奉請訳(ぶじょうやく)、訳されたの意味。玄奘はインドから多数の仏教経典を持ち帰り、中国語に訳した僧。孫悟空でも有名な西遊記三蔵法師のモデル
※2 転読(てんどく)とは一つの経典の本文を省略し、経題や訳者など要所を読むことによって全体を読むのに代えること
※3 初午祭(はつうままつり):旧暦2月初めの午の日に行われた祭で、日本各地に見られる。豊作祈願が起源とされる
※4 原七郷(はらしちごう):御勅使川扇状地に位置する特に乾燥した旧7カ村(上八田・西野・在家塚・上今井・桃園・吉田・小笠原)
※5 ご開帳の日程、時間等は長谷寺のインスタグラムをご参照ください
文/写真 文化財課
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