■国指定史跡「御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)」将棋頭(しょうぎがしら)のひみつ
将棋頭は、その名のとおり先端が将棋の駒のようにV字形に尖った形の堤防です。かつては、武田信玄が御勅使川の激流を二つに分け、勢いを弱めることなどを目的に造ったと言われてきました。しかし現在では、広大な河川敷の中で上流に尖ったV字形の堤防を築くことで自らの集落や耕地などを囲み、水害から守るために造られた堤防であることが明らかにされています。
将棋頭は、集落や耕地などを水害から守るために造られました。V字形の堤防ではその上流側しか囲われておらず、これだと下流側から洪水流が侵入してきてしまいそうですが、御勅使川などは、その勾配が非常に急であることから、その心配はなかったようです。反対に河川勾配がゆるい場合は、村や耕地全体をぐるっと取り囲む必要がありました。これがいわゆる「輪中(わじゅう)」で、岐阜県を中心とした木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)下流の濃尾平野に築かれたものが有名です。これに対し、将棋頭は「尻無堤(しりなしづつみ)」と呼ばれることもあります。
古絵図などによれば、かつて御勅使川には、現在の韮崎市にあたる下条西割(大草)、下条南割(竜岡)、そして南アルプス市の六科(むじな)に、少なくとも三つの将棋頭があったことがわかります。このうち、現存する下条南割(竜岡)と六科の二つが国の指定文化財(史跡)に指定されています。
V字形の堤防といえば、広報5月号、6月号で紹介した桝形堤防がありますが、こちらもかつては、徳島堰の分水を受ける村ごとに三つあったことが知られており、形状や目的から、これらについても分水口を守る小規模な将棋頭ということができます。
将棋頭は、実は釜無川にもあり、明治時代の地図では、釜無川の河道が現在より広かった時代に河川敷に取り残された鍛冶新居(かじあらい)の集落(中央市)が、V字形の堤防を造って自らの集落を囲み、守っている様子を見ることができます。
このように、甲府盆地における御勅使川や釜無川のような急しゅんな勾配の河川においては、水害から「様々なもの」を守るためにV字形の堤防を作ることは、実はごく普通のことだったのです。
流域全体を広く見渡して治水工事が計画されていない時代、将棋頭はそれぞれの村がそれぞれの村を守るために考え出された工夫といえます。その後の治水事業の進展により、現在その多くは直接の役割を終えていますが、南アルプス市の六科将棋頭の中では現在も水田が営まれ、毎年豊かな実りを地域にもたらしています。六科将棋頭の中で営まれる水田は、考えてみれば周囲を御勅使川に全て囲まれているにも関わらず、御勅使川の水を一切使用しておらず、桝形堤防で分水された徳島堰の水(もともとは釜無川の水)を使用しているめずらしい水田です。ここに実るお米は、将棋頭(国指定文化財)で守られ、歴史的な用水路である徳島堰(国登録記念物)で潤された特別なお米。「将棋頭米」などとして、ブランディングしてはいかがでしょうか。
文・写真 文化財課
※詳細は本紙P.14~15をご覧ください。
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