文字サイズ
自治体の皆さまへ

山梨市が生んだ偉大なる地質学者~小澤 儀明

4/35

山梨県山梨市 クリエイティブ・コモンズ

■生い立ち
小澤儀明博士は、明治32年3月31日、東山梨群日下部町八日市場(山梨市小原東)に、父正平・母とものの三男として生まれました。父正平は厳格、几帳面で律儀な性格の人でした。小澤博士の学問におけるひたむきさや律儀さは父親ゆずりのものであったと言われています。
小澤家は古くから地元の大地主で経済的に恵まれた家庭であり、教育には両親ともに非常に熱心でした。小澤博士は子どもの頃から非常に勉強家で読書好きの子どもでしたが、けっして家にこもって本だけ読んでいるような人ではありませんでした。
近所の子どもたちにいろいろな事を教えることが好きで、子どもたちを集めては勉強を教えたり遊ばせたりしていました。
また、学生時代はほとんど学校を休んだことがなく、校内のマラソン大会などではいつも上位を占めて友人を驚かせていたそうです。

■古生物学・地質学への興味
小澤博士は、日下部尋常小学校、日川中学校(現日川高校)、東京の旧制第一高等学校で学びました。若い頃から古生物学と地質学に興味を持っていた小澤博士は多くの自然科学の本を読むなかで、ダーウィンの進化論に感動し、古生物学と地質学の道を歩み始めました。
少年時代から山登りが好きで、日川中学校時代は日本アルプスや秩父連峰を踏破しました。第一高等学校に入学した年には、東京地質学会の創立25年の記念総会にすでに参加していました。

■秋吉台の研究
大正9年、小澤博士は東京帝国大学理学部地質学科に入学しました。大学では、横山又次郎教授の指導のもと、山口県秋吉台を研究し、一見灰白色の石灰岩のかたまりにしか見えないフズリナの化石を鍵に、地質構造が大きな逆転構造であることを発見しました。
大正12年3月卒業と同時に、東京帝国大学助手となり、同年「秋吉台石灰岩を含むいわゆる上部秩父古生層の層位学的研究」を発表しました。この論文は、秋吉台石灰岩の逆転構造を証明したものであると同時に、わが国の古生物界の層位を確立するものでした。
大正14年には、東京帝国大学助教授となり、翌年日本列島の成因に関する論文である「古生代後および中生代末に於ける日本内帯の地殻運動」を発表し、同論文により東京帝国大学から理学博士(山梨県初)の学位を授与されるとともに、学者にとって最高の名誉である帝国学士院恩賜賞をも授与されました。
小澤博士は、古生物学の研究においても数多くの優れた業績を残しました。秋吉台石灰岩からは、フズリナやコケムシ等の新種をはじめとする90種の化石を発見しました。

■天才科学者と呼ばれて
昭和2年からは、米国のハーバード大学や英国のケンブリッジ大学に留学し、研究を重ねました。昭和4年に帰国しましたが、同年12月28日病気のため逝去しました。享年31歳でした。
若くしてこの世を去った小澤博士でしたが、亡くなるまで44編にも及ぶ貴重な研究論文を発表し、天才科学者と呼ぶ声が多くありました。
現在、小澤博士の業績は東京大学地質学研究室所蔵「小澤文庫」として遺されています。
また、山口県の美祢市立秋吉台科学博物館には不滅の業績を伝える胸像が造立されています。

■参考文献
「郷土史にかがやく人々」
青少年のための山梨県民会議発行

■小澤博士の顕彰碑が移設されました
本市出身の地質学者で名誉市民である小澤儀明博士の顕彰碑が、旧市役所跡地から市民会館正面に移設されました。
この顕彰碑は平成11年に博士の生誕百年を記念して当時の市役所敷地内に建立されたもので、旧市役所跡地の活用に伴い、今年3月に市民会館正面に移設されました。市民会館へお立ち寄りの際は、ぜひご覧ください。

問合せ:生涯学習課文化財担当
【電話】内線2322、2323

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU