大平賀の本郷にある閏田1号古墳は加茂郡を代表する円形の古墳(円墳)として知られています。令和4年度に文化庁の補助事業として、埋葬施設の位置と規模を確認するための電磁波レーダーによる探査を実施しました。今回はその概略をお知らせします。
■閏田(うるうだ)1号古墳レーダー探査からわかること
まずは図1のように中心から放射状に探査を行い(写真1)、8つの断面の測定画像から反応の変化を分析しました。いずれも反応が明確にあるため大型の石で構成された石室と考えられます。探査画像の図2では、入口と思われる部分が1段低くなっていることも分かり、横穴式石室である可能性が高いと考えられます。反応点の位置からかなり大型の石室であることが分かります(図3)。推定ですが、石室の大きさは全長約7m、内部の最大幅は約2mで高さが約2.5~2.0mと想定され、大人が立って歩行できる空間があると考えられます(図3)。現在は石室の入口が塞がっていますが、本来は南東に開口して築造された可能性が高いと考えられます。測量調査も実施し、古墳の北と東側は大きく削られていますが、本来の大きさは直径20mと推定しました。20mを超えると大型古墳とされますので、閏田1号古墳は近隣で最も有力な豪族の墓と考えられます。削平を免れた西側には古墳の表面に川原石を積んだ「葺石(ふきいし)」が確認できますので、築造当時は石で覆われた威厳ある姿だったと思われます。
閏田1号古墳は石室規模から6世紀後半の築造を想定しています。近隣には中障子1・2号墳など少し小ぶりな古墳とともに古墳群を形成します。周辺を束ねる首長たちの墓域だったと考えられます。そして6世紀末から7世紀初になると北側に小型の古墳が点在する祢宜屋古墳群が築造され(図4)、さらに津保川の東にある一辺約23mの巨大な方墳「井高1号古墳」へと変遷していきます。また、近くにある「大山神社」は平安時代の延喜式神名帳に記載がある数少ない式内社です。古墳時代から平安時代にかけて力を持った有力な氏族がいたことが推察されます。
※レーダー探査についての詳細な報告書が3月に刊行されました。タウンホールとみか図書室や富加町郷土資料館で閲覧・貸し出しができます。
※図など詳細は、本紙またはPDF版8ページをご覧ください。
問合せ:富加町郷土資料館
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