■「孤高の植物学者」
第八話 77歳。少し早かった。
三宅勝義さん(東野)
▽62歳になり名誉教授となった学は、天然記念物の調査員として全国各地を意欲的に駆け回っていましたが…
JR東海、中央本線の美乃坂本駅。もうすぐリニア中央新幹線の駅ができるところです。その駅から歩いて5分程のところに天然記念物に指定されているハナノキの自生地があります。この自生地は、学が真っ先に天然記念物に指定した所です。その直後、三郷町の亀ケ沢のハナノキの自生地にも調査に来ています。
学は、東京帝国大学の教授の職を62歳で定年退職した後、名誉教授に就任し、研究活動を続けることになりました。教授時代と違って自由になる時間も増え、自分のやりたい研究に没頭できるようになりました。中でも、調査員として稀少植物の天然記念物指定に力を注ぎました。高齢にも関わらず、調査のために遠く北海道まで赴いたこともありました。
三好学と牧野富太郎と宮部金吾(きんご)。この時代に植物学の三長老と呼ばれた3人です。北海道大学の教授で、北海道の植物について特に詳しかった金吾は「三好博士には、野幌(のっぽろ)原生林や登別温泉付近の山林、圓山(まるやま)国有林などの天然記念物指定に尽力いただいた」と遠方の調査に感謝の言葉を残しています。
福井の師範学校時代、マラリアにかかりながら、標高2702メートルの白山(石川県)の登山をしたほどの強靭な体力の持ち主だった学も、高齢による体力の衰えには勝てませんでした。昭和14年5月、群馬でのツツジ調査で肺炎にかかり、帰京後、慶応病院で治療しましたが、そのまま帰らぬ人となりました。休む暇もない調査活動の疲労が原因でした。「天然記念物の調査」という自らに課した使命のためなので、無理をしても悔いなどあろうはずもありません。
しかし、享年77歳。少し早かった。
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