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物知り先生のふるさと情報(三好学博士顕彰記)

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岐阜県恵那市

■「孤高の植物学者」
第十話 近代植物学の開祖と自然保護の先駆者
三宅勝義さん(東野)

▽「桜の博士」に続き第二、第三の学の功績とは
その昔、人類は狩猟と植物の採集で命をつないできました。大概の動物は食べられますが、植物はそんな訳にはいきません。人間にとって毒になる植物も結構多いものです。
奈良時代、中国から本草(ほんぞう)学という学問が日本に入ってきました。これは、その植物が人間にとって良いか悪いかを分別(グループ分け)する初歩的な分類学です。時代と共に少しずつ進化しながら本草学が続き、江戸時代には、食物だけでなく、人間の薬になる植物の分別が主になりました。
明治時代、学はドイツのライプツィヒ大学へ留学し、そこで学んだ「植物生理学」と「植物生態学」を日本へ持ってきました。植物生理学は、植物そのものの特性を研究するもので、植物生態学は、植物と環境との関係を研究するものです。これまでとは全く違う植物学の分野です。
学は、ドイツ留学から帰国すると東京帝国大学の教授になり、植物生理学、植物生態学の第一人者として研究に取り組みました。これら、新しい二つの植物学を「近代植物学」と言い、最初に日本で広めた学は、「近代植物学の開祖」と呼ばれました。これが学の第二の功績です。
そして、植物生態学を究める中で、学が最も懸念したのは、環境の破壊でした。明治時代以降の日本は、急速な近代化で環境破壊が進んでいました。「植物を守るためには、環境を保全する必要がある」と、自然保護活動に取り組むようになりました。そして、失われていく稀少植物の保護のため、天然記念物制度を法制化することにも尽力しました。今でこそ自然保護は大切にされていますが、その先駆者は学です。「自然保護の先駆者」であることが学の三つ目の功績です。
ちなみに、レベルの高い分類学を大成させたのは、牧野富太郎です。

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