■恵那の中山道 西行塚から武並町藤まで
西部良治(りょうじ)さん
西行塚から恵那市と瑞浪市との境までの中山道は、一部を除いて江戸時代のままの姿を残しているので、まるで江戸の世にいるような気がします。そんな雰囲気を味わいながら西行塚から西へ約350メートル進むと、両側に3メートル程の高さの丸い塚が見えてきます。これは槇ヶ根一里塚(まきがねいちりづか)といい、県の史跡に指定されています。一里塚とは、江戸時代に街道の両側に一里(約4キロ)ごとに建てられた道しるべですが、今はほとんど残されていません。
ここからさらに進むと、茶屋としてにぎわった槇ヶ根立場(たてば)跡や槇ヶ根追分(おいわけ)があります。立場とは、休憩場所のことで、追分とは道が分かれるところをいいます。この槇ヶ根追分は、京都に向かう中山道と、名古屋・伊勢に向かう下街道が分かれるところで、明治8年建立の石碑には「右西京大坂左伊勢名古屋」と記されています。
西に歩いていくと、和宮皇女の通行時に建てられた「姫御殿跡(ひめごてんあと)」や「首無し地蔵」があり、大名行列も乱れるほどの急な坂である「みだれ坂」と、大田南畝(なんぽ)の『壬戌紀行(じんじゅつきこう)』にも描かれた「みだれ橋」を渡ると、四ツ谷に入ります。
さらに道を進むと、県史跡の紅坂(べにさか)一里塚があって、槇ヶ根からここまでで一里来たことになります。そして「ぼたん岩」という珍しい岩のある紅坂を下ると、深萱(ふかがや)立場跡に着きます。ここを過ぎると、武並町藤の三つの城が見えたことから名付けられた、三城(みつしろ)峠があります。この峠を下れば瑞浪市との境近くで、先へ進むと大久手宿に至ります。
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