■正家廃寺跡「東海を代表する古代寺院跡」
三宅唯美さん(生涯学習課)
皆さんの多くは、奈良の法隆寺を訪れたことが一度はあるはずです。門をくぐると、世界最古の木造建築として知られる塔と金堂が左右に建ち並び、その奥の講堂とともに荘厳な空間を構成しています。奈良時代の恵那には、この法隆寺を一回り小さくしたような寺院がありました。
正家廃寺跡(長島町正家)は、市街地を一望できる丘陵上に立地する、奈良・平安時代の寺院跡です。昭和52年度から54年度、平成5年度から11年度の二度の発掘調査によって概要が明らかにされました。堂塔跡の残り具合が極めて良好なことや、金堂が世界に類のない特異な構造であることなどが高く評価され、平成13年8月、東海を代表する古代寺院として国史跡に指定されました。
昔はどのような姿だったのでしょうか。百聞は一見にしかず。イラストレーターの香川(元太郎)げんたろうさんに、平安時代初めの復元考証イラストを描いてもらいました。
塀で囲われた二つの区画のうち、左の区画には主要な堂塔が建っています。屋根は、瓦が出土していないことから、格式の高い(檜皮葺)ひわだぶきにしました。柱や扉は、他の古代寺院を参考に朱塗りで描きました。右の区画では、日常の生活で使う須恵器や鍛冶に関わる遺物がたくさん出土しています。そこから、寺の事務所や工房などの施設があったと考えました。
丘陵の下には古代の村が広がり、遠くには、郡の官人が政務を行う役所である「郡衙(ぐんが)」や、馬の乗り継ぎに使われた「駅家(うまや)」もみえます。今は染戸遺跡群(東野)、八反田遺跡(長島町)と呼ばれています。まっすぐに伸びる道は東山道でしょうか。
正家廃寺跡のどこがすごかったのか、2回に分けて紹介します。
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