この地域にあって身近に親しまれている山や、はるかに望む山々について、まつわる歴史や文化を紹介します。
■白山(はくさん) 標高2702М
白山は加賀(石川県)、越前(福井県)、美濃(岐阜県)の三国にまたがる日本指折りの霊峰で、その神聖なる山への信仰は古代から存在し、さまざまな形で各地に伝わりました。
市内には合祀(ごうし)(祭神を他の神社にあわせて祀(まつ)ること)されたものを含めるとかなりの数の白山神社があり、その信仰の広まりがうかがえます。白山からの豊富な水は川となり田畑を広く潤すため、古くは山そのものがご神体であり、水神や農業神としてあがめられました。元農耕地だった場所に立つ白山神社の多くは、人々の生活や農事への願いを込めた氏神だったのかもしれません。
三和町中廿屋(なかつづや)の廿屋神社もはじめは白山神社であり、もともと御殿山(ごてんざん)にあった社が明治43(1910)年に麓の松尾神社と合祀されたものです。しかしその年に廿屋は大水害に見舞われ、これが白山神社のたたりではないかとの心配と憶測から、跡地に記念碑が建てられます。そして昭和期には廿屋区民の総意で再び山の上に社殿が造営されました。その後も幾度とない天災を経て、改築を重ねながら廿屋の守り神としてあり続けました。ここと上廿屋にあるもう一つの白山神社は、もとは白山権現(ごんげん)(白山の山岳信仰と修験道(しゅげんどう)が融合した神)を祀る権現社(ごんげんしゃ)でしたが、明治維新後の神仏分離によって神道系の白山神社に改組されたようです。上廿屋の白山神社の棟札(むなふだ)(弘治3(1557)年銘)には「白山妙理大権現(はくさんみょうりだいごんげん)」と確かに記され、下廿屋の山林にひっそりと立つ石碑にもその名が刻まれるなど、そこに神仏が混じり合う緩やかで多様な、かつての祈りの形を見ることができます。
市内では今でも小高い場所から、はるか北方にその山を拝むことができます。人々は冬には特に神々しく輝くその姿に感謝と畏敬の念を抱き、思いを託してきたのでしょう。
▽参考文献
・『廿屋郷土史(荘加金次:1968年)』
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