この地域にあって身近に親しまれている山や、はるかに望む山々について、まつわる歴史や文化を紹介します。
■岩滝山(いわたきやま)
標高291М
山之上地区と川辺町の境にあり、昭和初期には「濃飛十勝(のうひじっしょう)」の旧跡にも選定された岩滝山。その形は市内どこからでもよく眺められ、鬼にまつわる伝説から「鬼飛山(おにとびやま)」の別名でも親しまれています。
この山は何より、臨済宗中興の祖といわれる江戸時代の名僧・白隠慧鶴(はくいんえかく)(1685〜1768年)ゆかりの地として広く知られる場所です。
正徳4(1714)年、30歳で美濃を訪れた白隠は翌年にこの山へとたどり着き、約1年9カ月にもおよぶ厳しい修行を続けました。中腹にある「坐禅岩(ざぜんいわ)」(市指定史跡)は、白隠が日々この上で坐禅をしたと伝わる巨岩で、この修行で重要な気付きを得たことが白隠の生涯をまとめた『白隠禅師年譜』などに記されています。83歳で大往生を遂げるまで布教に身を捧げた白隠の不屈の精神力は、ここでの体験に養われた部分が大きいのかもしれません。
しかし修行は決して独力ではなく、有力者・鹿野善兵衛(しかのぜんべえ)をはじめとした村の人々の大きな援助がありました。その交流は白隠が岩滝山を発った後も続き、晩年になってもこの地に深く思いを寄せていたことが、山之上の家々に伝わる禅画や手紙から分かります。この山は現在、白隠禅師顕彰会をはじめとした地域の人々によって大切に管理・整備され、人々の心に残り続けています。
昭和時代の正眼寺住職・梶浦逸外(かじうらいつがい)はその著作の中で、白隠がいたころの山之上村を、まさに〝山之上〟という名にふさわしい「行けども行けども、小巒低峯(しょうらんていほう)(小さな山)が重なり合って、殆(ほとん)ど旅人の影を見ることは出来ない、山と山との別天地」と称しています。
村の様相は昔と大きく変わりましたが、今も坐禅岩からは、白隠が見た風景が目の前に広がっています。
参考文献:
・『山之上村に於ける白隠禅師(梶浦逸外著:1955年)』
・『展示図録 まちのいいものよいところ︱山之上︱展(美濃加茂市民ミュージアム:2017年)』
・『展示図録 墨痕に咲う︱美濃の禅画の世界白隠と仙厓と︱(美濃加茂市民ミュージアム:2022年)』
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