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みのかもの山、望む山 第11回

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岐阜県美濃加茂市

この地域にあって身近に親しまれている山や、はるかに望む山々について、まつわる歴史や文化を紹介します。

■米田白山(よなだはくさん)
標高273М

市内の最東端、下米田の人々から深く親しまれる米田白山。「白山」の名が付くとおり加賀の白山信仰に基づく山でもあり、明治以前に定められた「米田八景」にも「白山の暮雪」として登場します。そこには山に積もった白い雪を幣(ぬさ)(神前に供える紙を切って垂らしたもの)に例えて神が降り立つ場所と表現されるように、この山を取り巻く風景は古くから当地を代表する神聖な情景の一つだったのでしょう。山頂から少し下った尾根の南西には「横穴式石室(よこあなしきせきしつ)」と呼ばれる古墳が2基(白山山頂1号墳、2号墳)残っています。眼下には飛騨川と木曽川が合流する雄大な景色が広がり、まるで山の上からその一帯を見守っているようです。
こうした祈りの山にも、人々の思いやその力は介入するものです。江戸時代、牧野地区を領地とした尾張藩家老の竹腰山城守(たけのこしやましろのかみ)は、享保8(1723)年、財政立て直しのため植林を実施し、米田白山の一部を含む山林や野原を直営林として指定。線引きをして村から取り上げ、立ち入りを禁じました。その後、村人の嘆願により一部の使用を許されたものの、現在も山中には「竹腰林」と刻まれた石の傍示(ほうじ)(領地などの境界を表すときの目印)が複数確認され、山が人の支配下にあった頃の名残を示します。
緑したたる白山や
流れ静けき飛騨川の
水に枕し山おおい
うつして立てる米田校
開校当時の下米田小学校校歌の1番には、冒頭から米田白山の名前が登場します。それほどまでに身近だったこの山の青々とした山並みの背景には、古くにさかのぼる人と山との歴史があったようです。

▽参考文献
・『米田物語(佐合武:1997年)』

問合せ:文化の森
【電話】28-1110

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