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自治体の皆さまへ

未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第1回

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岐阜県美濃加茂市

■伝統の文化うけつぎ、めざしゆく明日は輝く
綜(そう)合文化都市建設へ―。
新しい市の誕生にあたり、渡辺栄一(わたなべえいいち)新市長は市民の団結をもとにした強力で豊かな市政の実現を高らかに呼び掛けました。加茂郡内の太田町と古井町を中心に、山之上村、蜂屋村、加茂野村、伊深村、三和村(川浦地区、廿屋地区)、下米田村、和知村牧野地区が合併して、昭和29(1954)年4月1日に産声をあげた美濃加茂市。各所で祝賀行事が行われ、市民はさまざまな思いを分かち合いながら、美濃加茂のこれからについて思いを馳(は)せました。鮮やかな情景が散りばめられた「美濃加茂市の歌」(昭和38年制定)の歌詞には、〝東海の要〟に生きる者としての自負や誇り、そして希望が満ちあふれています。当時、そこはまさに〝新しき陽の差すところ〟でした。
市制が施行されてから70年。社会が急速に拡大と変化を続ける中、いくつもの困難を乗り越えて、道路や上下水道をはじめとする都市基盤の整備や、教育・文化・福祉の充実などが進められてきました。しかしながら、その経緯についてはこれまで振り返られることも少なく、記録や文書とともに忘れられている出来事も多くみられます。一つ一つの情報は実際のところ、先の時代を生きるための大切な指針となるものばかりで、市民や行政がそこから学び共有していくことは、次世代のまちづくりの基礎でもあるでしょう。
この連載では、今までの資料調査をもとに、市の発足から今日に至るまでの美濃加茂の歩みを写真や資料、年表をもとに振り返り、まちの移り変わりや暮らしの発展をたどります。そして過去について思いを巡らせることで、美濃加茂の現在、そしてこれからについて改めて目を向ける機会にしたいと考えます。
〝伝統の文化うけつぎ、めざしゆく明日は輝く〟(「美濃加茂市の歌」3番より)。積み重ねてきた歴史が私たちの心の確かなよりどころとなり、連綿と続く未来への、少し先の足がかりを照らしていくきっかけとなれば幸いです。

◆Pick Up Word「中部日本の中央部」
木曽川、飛騨川が合流し、国鉄三線が交差するなど東海と北陸を結ぶ枢要な中継地としての新市の立地を、当時の『市勢要覧・合併記念号』で強調して図に示しています。また、同号の冒頭では、「昭和29年4月1日、中部日本の中央に、二町七ヶ村を糾合(きゅうごう)して『美濃加茂市』が誕生した。萬才(まんさい)のどよめきは陽春の美濃の空にとどろき、嬉(よろこ)びの唄声は五月の木曽の川面にひびき渡った」と書かれており、「東海の要」としての自負がうかがえます。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110

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