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津山の歴史 あ・ら・か・る・と

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岡山県津山市

■焼き物の棺 陶棺のはなし
陶棺(とうかん)とは、6世紀後半から7世紀代にかけ、美作地域で盛んに作られた焼き物の棺桶(かんおけ)で、大きく蓋(ふた)と身(本体)に分けられます。陶棺にはさまざまな形のものがあり、形や作り方によっていくつかの型式に分類されます。もともとは近畿地方で誕生し、そこから岡山県に伝わったと考えられています。最も古いとされている岡山県の陶棺は、こうもり塚古墳(総社市)から出土したもので、6世紀後半ごろのものと考えられています。
ここで紹介する陶棺は、下田邑二子(ふたご)古墳(田邑古墳)から昭和20年代に見つかったもので、津山弥生の里文化財センターで展示しています(写真1)。陶棺の特徴や、一緒に出土した遺物などから、下田邑二子古墳は、6世紀末から7世紀前半ごろに作られたと考えられます。発見当時の記録などがないため、詳しいことは分かりませんが、陶棺とともに、須恵器(すえき)と呼ばれる焼き物の器類や鉄鏃(てつぞく)(鉄製の矢じり)などが出土しました。
この陶棺は、上から見た文様が亀の甲羅に似ていることから「亀甲形(きっこうがた)陶棺」と呼ばれます。蓋と身を別々に作り、さらにそれらを2つに分けて焼き上げられています。身の上端に、蓋を受けるための面が丁寧に作られていて(写真2)、突帯(とったい)(写真1)が細いことも特徴です。
同じ型式の陶棺は、桑山南1号墳(高尾)から、平成30年の調査で発見されています。県南部では弥上(やがみ)古墳(赤磐市)などに似た例があり、陶棺は岡山県古代吉備文化財センター(岡山市)で展示しています(写真3)。下田邑二子古墳の陶棺は、こうもり塚古墳や吉井川下流の古墳に見られる陶棺の影響を受けて誕生したと考えられます。
陶棺については、まだ分からないことが多く、今後の調査から少しずつ解明されていくかもしれません。

※写真は本紙をご確認ください。

問合せ:津山弥生の里文化財センター(沼)
【電話】24-8413

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