■鶴山館の歴史
津山城跡三の丸の南東隅に建つ鶴山館。瓦葺(ぶ)きの堂々とした大型の木造建物です。津山城跡の景観の一つとして違和感を感じる人は少ないと思いますが、元々は津山城には無かった建物でした。この建物は、津山城下の京橋門北側一帯(現在の津山観光センターの南西付近)の武家地に、明治4年(1871)に完成した津山藩の藩校「修道館」内の建物の一部が、現在の場所に移築されたものです。
「修道館」の一部として完成したものの、同年の廃藩置県によって津山藩が廃止されたため、藩校として使われることはありませんでした。
明治5年(1872)の学制公布に伴い、北条県立中学校の校舎となった後は、明治7年(1874)に旧藩士がこれを買い取って小学校の校舎としました。その後は、郡役所の庁舎、幼稚園、私立学校、町立高等小学校、県立中学校・女学校の校舎など、時代の流れや、教育制度の移り変わりとともに、さまざまな形で利用されました。
明治36年(1903)になり、県立中学校・女学校の校舎建て替えが計画され、既存の建物は売却する予定でした。しかし、売却はされず、明治37年(1904)に現在地に移築し、津山町会の決議によって「鶴山館」と命名されました。
鶴山館として演説会や博覧会、市民の集会場所などに使われた後、約半世紀前の昭和50年(1975)に大規模な改修をしました。改修の前年に作成された現況図を見ると、室内の様子は、現在とずいぶん異なっていたことが分かります。改修前は、一面に床が張られていて、出入口は南側のみ。トイレも北側と東側に設置されています。
修道館建設当時は、藩主の間をはじめ役人の席などが設けられていましたが、移築時にはかなり簡略化された間取りになっています。改修計画時に当初の平面図が発見されたため、元の姿にできるだけ近づける形で、復元工事が行われたようです。
問合せ:津山弥生の里文化財センター(沼)
【電話】24-8413
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